今回の記事は私個人の妄想です。
中国製の人型ロボットを見て思いました。アレクサンダー・テクニークの理論を使えば、AIに計算させて自由に動くことができるのではないか、という想像です。
動くときに全身のバランスが少しずつ変わっていくわけですが、それに合わせて、全身の全ての関節を対応させていけばいいことです。現在のロボットであれば、必要ないのに「怖い」と首を固めて全身の動きを鈍らせることもありまあせん。「隣のロボットが近すぎる」と身体を固めることもありません(必要な機能でした。これはセンサーで対応できそうです)。必要ないのに「あれ、違ったかな」と膝や肩を固めることもありません。
人間に起こるのその仕組みは、生存するために必要なものです。アレクサンダー・テクニークが除いていこうとしているのは、その中でも、必要ないのに固めてしまうこと。または、必要以上にやりすぎてしまうこと。つまり、ロボットのように全く無いものを目指しているわけではありません。そうして、ロボットには、そのままでは、生存するためのその仕組みがないために、ロボット自身を破壊へ向かわせてしまう可能性があります。
(ロボットの場合こういうのは、センサーで対応するんだと思います。センサーで対応した結果が対応する前よりましになればいいわけです。ところが、センサーで対応した結果が対応する前より悪いことを引き起こすことを人間はやってしまいます。そうしているうちに、センサーが過剰に反応してしまうことが起こってくるので、アレクサンダー・テクニークはそれを除きたいわけです。)
ロボットは、人間が作り出したものであるがために、ハードウェアにバグを抱えて、どこかに負荷の偏りを作ってしまうことはあるはずです。それは、私たち人間がアップデートして作りなおしていけばいいことです。ソフトウェアの問題であれば、裏でタスクマネージャを走らせて、ロボット本人に負荷の偏りを分散させればいいのではないかと。
やってみるとわかるのですが、人間も、まるで裏でタスクマネージャを走らせているかのように、自分で負荷の偏りを分散できます。そこをできるようにしていくのが、アレクサンダー・テクニークです。ほとんどの人は、頭で考えただけで、できないと判断してしまいます。または、それを自分一人でやろうとします。それを自分一人でできるようにしていくのは、難しいです。なぜなら、F.M.アレクサンダーが何年、十年、何十年(ゴールをどこと捉えるか)、かけてたどり着いたものと、同じことをやろうとしていることになるからです。しかも、F.M.アレクサンダーと同じことをやろうとして(やろうとした人はいるかもしれないけど)、やり遂げた人は、今まで他にはいません。
(のはず。やりとげた人は大勢いて、たまたまF.M.アレクサンダーが運良く波にのれたのではないか、と考える人がいるかもしれません。そうなのであれば、アレクサンダー・テクニークを教えるのは簡単なはずですが、それが難しく、教わってもなかなか分からないという事実があります。それは、アレクサンダー・テクニークの理論が難しいからではありません。むしろ、とてもシンプルです。それを教えるのが難しいのは、現代では当たり前だと思われている一般常識(固定観念)が邪魔をするためです。つまり、その一般常識の中で生きている人たち(私たちアレクサンダー教師もです)にはたどり着くことは難しいと思われます。そこに、ある意味でF.M.アレクサンダーが良くも悪くも普通の人ではなかったということが言えます。つまり、アレクサンダー・テクニークを受け入れることは、現代の常識のその部分を否定することになり、現代の常識の中で居続けるためには、アレクサンダー・テクニークを否定するか無視することになるのです。)
荷物を運んだり、子どもと手をつないだり、体重が5キロ増えたり減ったり、ひらひらした服を着たり、いつもと違う靴を履いたりするロボットは、その都度計算し直さないといけません。アレクサンダー・テクニークを身につけていれば、人間は、そういうオプションにかかわらず、自分の身体をモニタリングしていればできることです。ということは、ロボットも自分の身体をモニタリングしていればできるのかな。
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