拮抗する
私たちが自分自身を良い使い方でいるために役に立つ「拮抗」とはどのようなものでしょうか。
それは、身体のあらゆる部分が、力比べではなく、互いに影響しあって支え合っていることです。
そのためには、頭や腕・脚のような末端はそれぞれ離れていくように使うといいかもしれません。
吊り橋が崩れていくと「拮抗」がなくなってその機能が失われるように、人間も「拮抗」がなくなるとその機能が失われていきます。
必要最小限の力で「拮抗」すること。その中に自分自身の良い使い方が含まれていることがわかります。
動いているときも「拮抗」し続けていると、なめらかに自然に動きがつながります。そのためには動いている間も「拮抗」のための準備をし続ける必要があります。
それは自分の中だけにとどまらず、触れている相手とも影響し合うことがわかります。
声を出すために必要な「拮抗」とはどのようなものでしょうか。
声を健康的に発するためには、いつでも動き出せるとともにいつでも振動できる自分でいる必要があります。
それには、「拮抗」することで生じる適切な張りが必要です。
吊り橋のワイヤーがたわむと振動することができないように、声帯が振動するには声帯やその周辺の組織体(結局全身を意味する)が不必要にたわんでいてはいけません。
声帯が振動するためには必要最小限の力による「拮抗」が欠かせません。それを妨げる要素は様々です。舌・顎・唇が邪魔をしないようにすることも役に立ちます。
声を健康的に出すための必要最小限の「拮抗」は、頭と首と背中の関係に関わる(結局全身に影響する)と思っていいと思います。
「拮抗」を妨げて私たちが自分自身を間違った使い方にしてしまうものにはどのようなものがあるでしょうか。実は、拮抗しているかもしれないバランスを、そうとは知らずにに崩してしまっている(崩れていた場合はさらに崩して)、という場面をとりあげてみます。
外から力を加えることで自分自身を長く広くしようとしても、身体は納得して長く広くなることはできません。
姿勢を良くしようとして自分の身体を押し上げてしまうのも、間違った解決方法です。
リラックスというのは、その考え方によって、良くなるかもしれませんが、悪くもなります。
日常生活において不必要な「拮抗」はどんな場面で発生するのでしょうか。拮抗していても、それが不要なものであるときがあります。
歯医者さんで口を開け続けるとき、口を開けようとする力と口を閉じようとする力が戦っています。
それは、意識してやっていることと無意識にやってしまっていることが戦っているのです。
無意識にやってしまっている不必要な緊張(癖)に対して、意識してやっていることが不必要な緊張として拮抗しています。
雑草を根っこから抜こうとして茎から切れてしまうのは、雑草の内部での拮抗のバランスが保てなくなったからです。
考え方の食い違い
間違った自分の使い方に対して、それに反発する力を加えることで、良い自分の使い方にするわけではありません。間違った使い方と良い使い方は「拮抗」しません。