背中を使うことの本来の意味
首の痛みは首だけの問題ではなく、タイピングの不自由さは指先だけの問題ではありません。事故でも病気でもないのに、なぜか首を痛めてしまっている人は、背中の筋肉群が働いていない可能性があります。背中の筋肉群が働かないと、代わりに首がその仕事を担ってしまうのです。私たちの身体は、腕、脚、頭、胴体といったパーツの寄せ集めではありません。それらすべてが互いに影響し合い、連携して動く一つのつながったシステムです。身体の各部位は背中とつながることで、本来の機能を発揮します。
「全身がつながる」ということとほとんど同じ意味なのですが、身体の軸であったり体幹を使うと考えるときにほとんどの人は腹筋にフォーカスします。もちろん腹筋も使うのですが、背中を忘れたままだと、本来の機能を発揮することはできません。ここでは、「背中を使う」ことに焦点をあててみます。
この記事では、「背中を使うことの本来の意味」「背中が使えていないと起こること」「背中と腕・脚との連動」「背中と顎・呼吸の解放」「日常生活で背中を使う」のステップで、背中を味方につける身体の使い方を体系的に解説します。
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1. 背中を使うことの本来の意味
背中が使えているという、私たちの身体の本来の仕組みを考えてみます。そしてそこに至るための意識とはどのようなものでしょう。背中を意識するとき、お腹との関係や「良い姿勢」に対する思い込みを見直す必要があるかもしれません。無理に力を入れるのではなく、背中が自然に支えてくれるものです。
自分自身全体が必要最小限の力で「拮抗すること」ができると、おそらく「背中を使う」ことはできていると思われます。
背中が使えていると、足から頭までつながるあらゆる関節がロックされないでいられるらしく、身体が部分的に固まることがありませんでした。
背骨の一つ一つも動くことがわかります。
よく聞く指示にお腹を使う・腹筋を使うという言葉があります。アレクサンダー・テクニークでは、お腹ではなく、背中に焦点をあてます。実際腹筋は、背中が使えるようになるその過程で自然についてきます。
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2. 背中が使えていないと起こること
何かうまくいかないことがあったとき、背中を使うことでうまくいくことがあります。その時は、おそらく背中を使っていなかったものと思われます。
背中が使えていないと、その先にある腕・脚・首が背中の役割も引き受けてしまうので、痛めることになります。特に、首は腕・脚のお手伝いもしてしまうので、一番負担がかかるところです。
五十肩を完全に防ぐことができるのかはわかりませんが、腕を使うときに背中を意識することで肩の痛みは和らぎます。これをきっかけに背中が使えるようになると、肩の痛みを防げるような気がします。
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3. 背中と腕・脚との連動
手先や腕だけで作業しようとすることは、肩や首を固めてしまい痛めることにつながります。腕や脚の動きを背中と連動させることで、軽く動くものです。
脚を動かすときも背中を使います。
背中と連携させるために、身体に任せて脚を動かしてみました。すると、そのときに必要な大きさの力で動くことがわかります。つまり、必要最小限の力で動くことができるということです。
腕を使うときにも、脚の時と同じように身体に任せて動かすことで、背中と連携して必要最小限の力で働くことができます。
肘が外へ離れていくように腕を使うと、腕とともに背中に広がりをもたらすことができます。
腕と脚が背中を通して連携することもやってみました。
床に横たわったときに膝を立てたり伸ばしたりして、いろいろ動かしてみました。このときはまだ背中との連携は十分ではなかったようです。
呼吸と身体がつながったと思ったところに、さらに腕の動きを連携させてみました。腕と背中がつながるとはこういうことか、と改めて思いました。
4. 背中と呼吸・顎の解放
背中が使えるようになると、肋骨の可動域が広がり、呼吸が楽になります。さらに首や顎の緊張も解放されていきます。
呼吸と身体がつながるためには、それまで理解していたよりも、もっと背中を使うということでした。
顎も背中と連携して動くらしいです。今の私にはまだ理解できない課題です。
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5. 日常生活の中で背中を使う
背中が使えていると、串打ちのときには腕だけで打つことがなくなり、腕は不必要な負担から解放されます。定規をあてて新聞を破るときも同じです。アレクサンダー教師の手の役目も同じように考えたいです。
串打ち・歌・踊り、どれも身体に良いものとなるか、身体に悪いものとなるかは、自分の使い方次第です。その鍵となるのは、「背中が使えているかどうか」です。
パソコンで作業をするとき、背中と腕がつながり、身体全体を使うと、どこかを不必要に固めないでいられます。