余計なことは何もしない(non-doing)で身体の本来の機能を取り戻す仕組み
「うまく声を出したい」「正しく動きたい」「間違ったことをしたくない」と思うあまり、私たちは無意識に力を込めたり、余計な動きをやってしまいます。けれども、身体が持っている本来の機能を発揮するのに必要なことは、何かを「足す」ことではなく、邪魔をしている不要な緊張や余計な動きを「やめる」ことです。アレクサンダー・テクニークで言うところの「余計なことは何もしない(Non-doing)」とは、全く何もしないことではなく、邪魔をしている不要な緊張や余計な動きを「やめて」いくことで、身体が本来もっている自然な働きを妨げないことを意味します。
この記事では、「本来の意味と誤解」「他の基本原則との関わり」「実践のステップ」「声と呼吸が自由になる」「日常生活での実践」「正しさにとらわれないために思考のブレーキを外す」の6つの切り口で、「余計なことをしない(non-doing)」の本質を体系的に紐解きます。
![]()
1. 余計なことは何もしない(non-doing)の本来の意味と誤解
動いていないように見えても、「余計なことは何もしない(non-douing)」のであれば、身体の各部位はお互いに邪魔はしないけれどもお互いに影響し合っていて、その見えないところではサポートをし合っています。
余計なことは何もしない人を見てその真似をするのは難しいことです。やっていないことは見えないからです。
余計なこととは、良かれと思って始めたことが間違った自分の使い方だった場合、それを繰り返すことで不必要な緊張を伴った習慣となったものです。それは、正しいことをやろうとするときに起こりやすくなります。
![]()
2. 他の基本原則との関わり
人間としての組織体を機能的に働かせるための基本原則はいくつかあり、それらは互いに関係しています。その中での「余計なことは何もしない(non-doing)」の位置づけを考えます。
「余計なことは何もしない(non-doing)」ために必要な、抑制(inhibition)と方向づけ(direction)。アレクサンダー・テクニークの基本原則の中のこの2つは裏表の関係にあります。
![]()
3. 実践のステップ
刺激が来たときに習慣として不必要な反応が起こってしまうときは、余計なことを何かしてしまっています。その不必要な習慣をやめる必要があります。
不必要で本来しなくていいことをやめていくことで、余計なことを何もしないでいられる場所をみつけます。
不必要で余計なことをやめていく手段として、机・壁・柱のようなものに体重をかけることなく触れるやり方があります。
余計なことを何もしないでいられる場所を見つけたら、余計なことを何もしないまま、本来の動きに近づけていきます。
![]()
4. 声と呼吸が自由になる
言葉を発声するときは母音・子音が変化するので、舌・唇・顎を動かすけれども、動かす必要がないとき、もしくは動かす必要がないところは動かさないことです。そうして、音と音が自然につながる発声を目指します。
声帯の振動が弱いとき、「もっと息を」「もっと力を」と原因を声帯のせいにして声帯を酷使するのは「余計な何か」であることがほとんどです。声帯の振動を妨げているものは別にあると考え、その悪循環から抜け出します。
その声帯の振動を妨げているものの中に、舌や顎があります。「余計なことは何もしない(non-doing)」ために、これらをやめていきます。
それは、歌うときもしゃべるときも同じです。
「良い呼吸をしよう」と意識しすぎると、肋骨や横隔膜の自然な動きが干渉されたり止まったりします。
![]()
5. 日常生活での実践
日常生活で必要なところを動かしている間、身体の他の部分はサポートをしながら「余計なことは何もしない(non-doing)」と考えます。
包丁を使うときに「包丁に任せること」「必要最小限の力で」「肩を下ろす」「腕を不必要に上げない」「背中を使う」と考えることは、全て「余計なことは何もしない(non-doing)」ために役に立ちます。
![]()
6. 正しさにとらわれないために思考のブレーキを外す
間違った自分の使い方から、直接、良い自分の使い方へ向かうことはできません。