刺激に対して無意識で自動的な身体の反応が一対一で起こってしまうことを、刺激と反応が癒着した良くない習慣・癖と説明してきました。ここで誰もが思うこととして、習慣には良いものもあるはずだということです。良くない習慣の刺激と反応の癒着を引き剥がしたところで、新しく身に着けた良いはずの習慣が、良くない習慣になりうるということを、アレクサンダー教師としては説明しないといけません。そうすると、習慣を常に見張っていなければいけないのだろうか、真面目な人はそう考え、批判したくもなります。現実的ではないだろうと思うところです。
習慣(癖)というものは、自動的に起こり、有害で、かつ意志のコントロールがきかなくなったとき、初めて問題となる。
音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門 第1部アレクサンダー・テクニークの基本原則 第1章自己の使い方 使い方と習慣(癖) P28
説明してくれている人がいました。ペドロさんです。「自動的に起こり」、「有害で」、「意志のコントロールがきかなくなった」、この3つが同時に満たされたときに、その習慣を問題だととらえるということです。それでは、新しく身に着けた良い習慣が、良くない習慣になっていく過程をみてみます。
まず、新しく良い習慣を身に着けたとします。このときは「有害で」はありません。良い習慣だからです。これを繰り返していくことで、後天的なものとしての直感で行動するようになります。
1. 本能(Instinct):生き延びるためのプログラム 本能は、私たちが人間(あるいは動物)として生まれた瞬間に備わっている「生存パッケージ」です。
2. 直感(Intuition):脳がショートカットした論理 直感は、過去の膨大な経験や知識を脳が「無意識のうちに」超高速で検索・照合し、一瞬で出した答えです。
by Gemini
直感は無意識であるというところから、「自動的に起こっている」可能性はあります。けれども、それが良いものであり、「無害」であれば、問題にはなりません。また、脳がショートカットするときに、「過去の膨大な経験や知識を脳が『無意識のうちに』超高速で検索・照合し」ていることから、場面に応じて「今は違うな」と直感で判断できるはずです。
しかし、刺激に対しての反応が、場面を選ばないことが増えてくると、その場面に合わない反応をすることが増えてきます。場面を選ばないということは、「過去の膨大な経験や知識を脳が『無意識のうちに』超高速で検索・照合し」ているという、直感ならではのいいところが機能していないことになります。その時点で直感ではなくなっているとも言えます。刺激に対して一対一で癒着した反応になっていく過程です。それが不必要な緊張を伴い始めると、「有害」なものになる場面がでてきます。いつも「有害」であるとは限りません。それでも、「有害」であることに気が付き、それをやめて違う反応を選ぶことができれば、問題にはなりません。
その刺激に対する反応が、「自動的に起こり」、「有害」となったときに、それに気がついてやめることができない、つまり「意志のコントロールがきかなくなる」と、問題になるわけです。そのときには何かしら困ったことが起きています。そうして大抵は、その困りごとを起こしている習慣が自動的に無意識に起こっているために、本人はそのことに気が付きません。なぜかわからないけど、自分自身(心も身体もその他もまるっと含みます)が心身ともに消耗していくけど、なぜだろう、となるわけです。
これが、良かったはずの習慣が良くない習慣になってしまう、なりゆきです。
アレクサンダー・テクニーク初心者は、どうしていいかわからなくなります。けれども、アレクサンダー教師は一緒にその不必要な緊張を生み出す原因となっているものに取り組み、除いていくことができます。
では、アレクサンダー・テクニークを取り入れている人は、どうするのでしょうか。良い習慣が「自動的に起こり」、「無害」のときは何もする必要はありません。常に習慣を見張っている必要はないということです。良い習慣だったはずのものが「自動的に起こり」、「有害」になったときに気がつくようになります。そのときには、自分自身が心身ともに消耗していく兆候が現れ始め、それを放っておかないからです。(現代のほとんどの人は、一週間に1回くらいちょっとどこかが痛むことがあっても、日常生活で困っていなければ、放っておきます。もちろん、一週間に1回くらいちょっとどこかが痛むだけで大げさに何か対応しなければというわけではありません。関わりすぎるのもよくないことが多いからです。ただ、放っておかないというだけのことです。)どの程度の不調で気がつくようになるのか、その原因となっている不必要な緊張が何なのか、それをやめていき、元の自分自身を取り戻す過程は、その人の経験によって異なってきます。それを自分一人でできるようにサポートしていくのがアレクサンダー教師の仕事です。
有害になってからでないと気が付かないのか、有害になる前に有害にならないようにしておきたいと思うかもしれません。それは非現実的に思えます。それこそ、自分自身の刺激に対する全ての反応を見張っていなくてはいけないからです。生きていく上で自分自身が受け取る刺激は無数にあり、それに対する反応は無限にあります。特定の反応を見張っているうちに、別の刺激に対する反応が悪さをするかもしれません。もぐらたたきゲームのようです。最初はもぐらにやられてからもぐらを叩いていたのが、そのうち、もぐらにやられるまえにもぐらを叩けるようになります。経験を重ねていくと、もぐらがでてきそうな兆候に気づいて防げるようになる。それでいいのです。
雑草の例え話もありました。
雑草が全く生えてこない庭が良いとか、考えることもあると思います。雑草が全く生えてこない庭にするには、「除草剤を散布する」、「防草シートを敷く」、「コンクリートで舗装する」などなど。確かに雑草は生えてこないかもしれませんが、これを悪い習慣が全く起こらない自分自身に当てはめると⋯。生きた心地がしません。私たちの日常生活における習慣に対する対応は、生えてきた草を放っておかないでおく、という位置づけでいいのです。