声帯の振動を妨げるものを除いていって、必要最小限の力で振動させることがどういうことかその意味がわかってきてからのことです。じゃ、曲を歌うときも必要最小限の力で声帯を振動させ続けたい、とは誰もが思うことです。私も思いました。しかし、必要最小限の力で声帯を振動させ続けようとしていると、歌になりません(今までの私も歌になっていたわけではないのですが、また違う意味で)。
これは、首と同じだ、と思いました。「首が長くなるように」と教わると、ほとんどの人は首が長くなることを保ち続けようとします。アレクサンダー教師が「首を長くすることではない」と口をすっぱくして言ってもです。常に首が長くなるようにしようとすることは、全く自然に反していて、かえって首を固め、ひいては全身を固めることになり、誰が見てもオカシナ格好で日常生活を過ごすことになります。
私たちはいつも同じではいられないという事実もあります。
この図の中で、中心にある黒い点を、私たちが望む良い自分の使い方だとします。すると、普段の私たちは、ある日はAにいたかと思うと、ある日はBにいて、ときにはCにいることもあります。その日によって自分の使い方は異なっているからです。同じ傾向はあるかもしれませんが、それでも全く同じではありません。
仮にAにいたときにアレクサンダー・テクニークのレッスンでaまでいけたとします(中心にある良い使い方までいきたいけど、そう簡単ではありません)。そのとき、「そうか、こういうことか」と感じていることは、A-aの差分であり、明日はその差分があてはまるわけではありません。明日はBにいるかもしれないし、Cにいるかもしれないし、全然違う別のところにいるかもしれないからです。(自分の使い方が良くなればなるほど、この差分は小さくなっていきます。自分の使い方が良くなればなるほど、アレクサンダー・テクニークのレッスンによる効果は感じ取れなくなっていきます。)
アレクサンダー教師が覚えてほしいのは、A-aの差分ではなく、aからAに戻ろうとする瞬間です。それは、首を固めることかもしれないし、股関節を固めることかもしれないし、喉を絞めることかもしれない。それをやめることができれば、いくらかAよりは中心の良い自分の使い方に近づいていられるのです。それは間違いなくBにいるときもCにいるときも他のところにいるときも役に立つのです。
ということで、「首が長くなるように」と教えるわけですが、アレクサンダー教師が望むことは、首が短くなる瞬間に気づいてそれをやめてほしいだけです。それは、首を常に見張っているということではありません。裏庭の雑草でいいのです。
声帯の振動を妨げるものも同じです。常に声帯の振動を妨げるものを排除し続けることは、声帯の振動を常に見張っていることと同じです。これも裏庭の雑草と同じでいいのです。そうでないと、アレクサンドロイドな首と同じで、不自然になってしまうからです。アレクサンダー教師は、日常生活の中で、首を固める緊張に気づいてそれをやめていくように教えます。それと同じだと考えると、こうなります。歌っている中で、声帯の振動を邪魔するものに気づいてやめていくということです。見張っているのとは違います。気づいたときにやめればいいのです。気づかないときは、やめようがないからそれでいいのです。
そのためには、一度声帯の振動を妨げるものがどういうものかわかったらそれを手放します。それを保持しようとしないことです(自分に言い聞かせ)。同じように、首が自由で長くなることも、一度どういうものかわかったらそれを手放すように教えます。それを保持しようとしないことが大切です。
一度それを達成できたら、それを捨てよう。
音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門
第3部アレクサンダー・テクニークを音楽演奏に応用する 第16章日々の練習p261