以前フースラーを教わりに行っていたときに、「アレクサンダー・テクニーク(自分自身の心身含む全体)が先か、フースラー(声帯などの喉周り)が先か、」と書いたことがあります。
しかし、違う先生のヴォイスワークに通うようになって、少し分かってきました。何か活動するとき(声を出す)の「自分自身の心身含む全体」と「声帯などの喉周り(部分)」の関係は、やはりその活動をするときの「手段」と「結果」の関係に似ています。
「結果」というのは、ある行為の結末にたどり着く状態であるということを忘れてはいけません。「結果をとること」を選んだとしても、「手段」というものがなくなるわけではなく、その「結果」の手前に「手段」は存在しています。「手段」をないがしろにしていても、ないがしろにされている「手段」はそこにあり、その時に自分が意識的であれ無意識的であれ選ぶことになるそこまでの経過(手段)によって「結果」が決まります。
反対に、「結果にとらわれず」に「手段」を選んだとしても、その最後にはなんらかの「結果」が待っています。「結果」がなくなるわけでもありません。「結果」にとらわれなかったとしても、「手段」としてどのように実現していくべきか考え選んで実行したその先に「結果」は必ずあり、それは「手段」をどう取るかによって変わります。
さあ、ではこれを、「自分自身の心身含む全体」と「声帯などの喉周り(部分)」に置き換えてみます。
全身はつながっています。「声帯などの喉周り(部分)」というのは、「自分自身の心身含む全体」のネットワークの一部であるということを忘れてはいけません。「声帯などの喉周り(部分)」に取り組むことを優先的にを選んだとしても、「自分自身の心身含む全体」のネットワークの一部であるという事実はそこに存在し、その「声帯などの喉周り(部分)」に「自分自身の心身含む全体」は常に影響を与え続けています。「自分自身の心身含む全体」に取り組むことを後回しにしても、後回しにされている「自分自身の心身含む全体」はそこにあり、その時に自分が意識的であれ無意識的であれ選ぶことになる「自分自身の心身含む全体」のあり方によって「声帯などの喉周り(部分)」が決まります。
反対に、「声帯などの喉周り(部分)」を後回しにして「自分自身の心身含む全体」を先に取り組んだとしても、全身はつながっているので、そのネットワークの一部として「声帯などの喉周り(部分)」は存在して常に「自分自身の心身含む全体」の影響を受け続けます。「声帯などの喉周り(部分)」も「自分自身の心身含む全体」と同時に変わっていくことになります。
ということは、「声帯などの喉周り(部分)」も「自分自身の心身含む全体」も、同時にできることから取り組むことが実は効率的であり、近道だということです。どちらかを選ぶ心持ちがあるのであれば、「自分自身の心身含む全体」を先に取り組むのが良いです。なぜなら、「声帯などの喉周り(部分)」にどれだけ取り組んだとしても、「自分自身の心身含む全体」がそれを妨げ不必要な緊張を生じていては、その取り組みが実らない可能性があります。一方、「声帯などの喉周り(部分)」でできないことがあったとしても、「自分自身の心身含む全体」が変わったら簡単にできた、ということも起こりうることです。
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