「声は結果だ」と聞いたか教わったか読んだか覚えていないけど、記憶のどこかに入っていました。それを思い出したのは、最近読んだ本に書いてあったからです。
声を聴きながら、その声を大きくしようとしているのではないでしょうか?だから、声が詰まってしまいます。なぜなら、声は結果なので、すでにある結果をつかって変化させたり、効果を生み出すことはできないからです。
うまく歌える「からだ」のつかいかた実践編P53 川井弘子著 誠信書房
声は結果なのか。記憶の中ではなんの意味も持っていなかった言葉でしたが、アレクサンダー・テクニークを学んだ今では違って聞こえます。それで、アレクサンダー・テクニークを学んだ今なら何ができるか考えてみました。
ヴォイスワークの先生は、「声帯がきれいに均等に振動していれば全てはうまくいっている。」「横隔膜を使えていれば、喉は締まっていない。」ということも言っていました。声帯の振動は自分自身の使い方の結果であるということです。自分自身が良い使い方であれば声もそのように、自分自身が間違った使い方であれば声もそのようになるということです。けれども、今の私には声帯がきれいに均等に振動しているかどうかはわかりません。
F.M.アレクサンダーは、レッスン生の呼吸を見ていて、呼吸ができていれば全てはうまくいっていると判断していたという話(これもどこで見たんだろう。見つけたら載せます。)もあります。ということは、呼吸は自分自身の使い方の結果ということになります。自分自身が良い使い方であれば呼吸もそのように、自分自身が間違った使い方であれば呼吸もそのようになるということです。呼吸ができていれば全てはうまくいっているのならば、「呼吸」ができていれば「頭と首と背中の関係性」は良い使い方になっているということになります。「呼吸」ができていないときは「頭と首と背中の関係性」が間違った使い方かもしれないけど、良い使い方のときもあります。「頭と首と背中の関係性」が間違った使い方だったらまず最初にそこを良いものにする必要があります。「頭と首と背中の関係性」は、その良し悪しが全身の機能に影響するからです。けれども、「頭と首と背中の関係性」がうまくいっていれば全てが上手く言っているということにはなりません。「頭と首と背中の関係性」と「呼吸」は違う位置づけになると思われます。
呼吸ができていれば(全てがうまくいっている)、というからには、呼吸ができているというのがどういうことかわからないといけません。
ということで、とりあえず朝から晩まで1日中一週間(初めて何かをやるときの自分の目安が一週間)、呼吸に意識的でいようと思います。
[2025/12/5]
声は結果だと聞いたことがあったのはここかもしれません。
もっと昔に聞いたことがあったと思ったのはもしかしたら大学生のときかもしれません。大学のサークルの資料に見つけました。
いいかい、音の高さは、まず、頭の中で鳴るんだ。次、頭が声帯に命令するので声帯は”ペッ”と用意してくれる。声帯は持ち主以上に素直なんだ。⋯(略)⋯空気を声帯にぶっつけてから頭で考え、あーツガッター、あーアタッターというのは明らかにアタマの配線が逆だ。ピッチ、音程感というのは先ず頭が先だぜ。
一度出した音をいじくりまわすな。
東京理科大学混声合唱団 前田幸市郎先生語録
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