感覚的評価は最初から不確かなわけではありません。赤ちゃんや小さな頃を覚えているわけではないので、はっきりとは言えませんが、確かなものでもなかったかもしれません。そこは専門の方に教わりたいところです。
赤ちゃんや小さな子どもは、毎日新しいことを覚え、家族と触れ合い、様々な経験を重ねていき成長します。最初はお腹がすけば食べ、お腹がいっぱいになればごちそうさま。楽しい時は笑って、納得いかないと怒り、悲しい時は泣き、言いたいことを言っていたはずです。そのうち、人間社会でのルールを教わり、ときには悲しくても泣くことができなかったり、楽しくても笑うことができなかったり、することが増えてきます。教えてくれる人が、必ずしも良い教え方をしてくれるとは限りません。
それでも、自分の使い方が良いまま、自分の中で起こっていることと表に出す表現を意識的に変えていれば問題ありません。けれども、それが習慣になってしまって無意識に発動するようになると、自分の中で起こっていることと表にでてしまう反応が一致しなくなり、自分の使い方を邪魔するようになり、間違った自分の使い方に置き換わっていきます。間違った自分の使い方としての習慣が身についてしまうと、身体はそれが正しいものと思い込むようになり、感覚的評価が不確かなものになっていきます。そういった間違った自分の使い方としての習慣がひとつまたひとつと増えていくに従って、自分が考えていることとやっていることが違うというものがひとつまたひとつと増えていきます。
アレクサンダー・テクニークはそれをもとに戻していく作業です。小さい頃から積み重ねてきた間違った自分の使い方としての習慣をひとつづつ取り除いていきます。そうすると、自分が考えていることとやっていることが違うというものがひとつづつ取り除かれていくことになります。その結果、不確かだった感覚的評価がひとつづつ確かなものに近づいていきます。その作業の中に、そうなってしまった原因は何かと、過去に遡って探ることはしません。現在自分に起こっていることだけをみていきます。
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