息を止めるというのはどういうことなのだろうと思って、アレクサンダー・テクニークの視点で考えてみました。今回の記事は完全に私個人の考えです。
特別な時(非常時とか)を除いて、アレクサンダー・テクニークでは動きを止めるときは、筋肉を緊張させずに関節をロックしないことを目指します。いつでも動き出せる自分でいることです。すると、静止してはいるのですが、わずかなゆらぎがあります。機械やロボットではないので、ゆらぎは必ずあります。
それでは、特別な時(非常時とか)を除いて、息を止めるとき、筋肉を緊張させずに関節をロックしないでいられるのでしょうか。呼吸するときに中心となって動くのが横隔膜と肋骨なので(実際には他のところも動いています)、横隔膜と肋骨の筋肉を緊張させずに関節をロックしないで、息を吸うでもなく吐くでもなくいられるかどうかを考えてみます。つまり、いつでも呼吸を始められる自分でいるわけです。息を止めてはいても、わずかなゆらぎがあって、わずかですが空気は出たり入ったりすることになります。口は閉じておけばなんとかなりますが、鼻は閉じておくことはできません。やってみましたが、できそうにありませんでした。いつでも呼吸を始められる自分なので、息を吸いたくなるし吐きたくなります。極めればいくらかできるのかもしれませんが、これが正しい状態なのかは今の私にはよくわかりません。
私達が息を止めるときは、火の中・水の中・煙の中で息を止めるときと同じことをします。最初に息を止めることを覚えるのが水に顔をつけることだからではないかと推測します。つまり、空気の出入りは完全にシャットアウトします。わずかなゆらぎによる空気(火・水・煙の想定で)の出入りがあってはいけないからです。そのためにすることは、横隔膜と肋骨(だけではないかもしれませんが)を完全に動かないようにします。横隔膜と肋骨の筋肉を緊張させ関節をロックして止めます。
このとき、おそらく背骨に関わる筋肉も緊張させて背骨もロックさせていると思われます。背骨が動くと肋骨も動いてしまうからです。そうして背中は機能して働くことはできません。息を止めると身体を動かそうとしても、腕も脚も背中のサポートを受けることができずに、腕だけ脚だけで動かざるをえないのではないか、というのが私の考えです。
泳ぎで水の中に顔をつけているときに、息を吐き続ける、という指示を聞いたことがあります。背中を機能させて全身を協調的に使うためには、横隔膜と肋骨(他のところもです。)の筋肉を緊張させずに関節をロックすることなく、動かし続けるということかな、と勝手に思っています。これは動かし続けることが目的ではなく、横隔膜と肋骨の筋肉を緊張させずに関節をロックしないことが目的です。筋肉は緊張していても関節はロックしていても力づくで動かすことはできるからです。(横隔膜と肋骨の場合はまだわかりませんが。)ダンスのレッスンで、踊っている間中息を詰めないで動けているかどうかを大切にするのも同じことです。
<本文中に関連するリンク>
全身はつながっているに関する記事
機能的な呼吸に関する記事