串打ちをして健康になるなんて、何を言ってるんだと怒られそうです。私が串打ちの仕事を始めたと告げると、決まって手首を心配されました。趣味ではなく仕事になると、一日何時間も、それを一週間に何日も同じ作業を繰り返すことになります。もちろん、身体を痛める確率は高くなります。
歌ったり話したりすることを仕事にする人は、喉を痛めることが多いかもしれません。しかし、声を出すことというのは、自分の使い方次第で健康を悪くするように働くこともあるし、健康を良くするように働くこともあるのです。踊ることを仕事にする人は、身体を痛めることが多いかもしれません。しかし、身体を使うことというのも、自分の使い方次第で健康を悪くするように働くこともあるし、健康を良くするように働くこともあるのです。串打ちを仕事にする人は、腕や手首を痛めることが多いようです。実は、手腕を使うことも同じように、自分の使い方次第で健康を悪くするように働くこともあれば、健康を良くするように働くこともできるのです。
串打ちが健康を悪くするように働くというのはどういうことでしょうか。
串を打つ瞬間に首に力を入れる。これは、首が下に向かって押し込まれる動きを伴います。串を打つ度にこれをやると、串を打つ度に首の関節を圧迫していることになり、首を痛めます。本来は背中がするべき仕事を首が代わりにしてしまっているのです。
串を持つ手がふらつかないように固定させて固める。これは、串を持つ手がふらつき、向かう先がブレるからですが、その原因は腕の力だけで串を打とうとしているからです。串の向かう先を決めるのは手腕ですが、その手腕が串を打つための力を担うと串の向かう先がブレるのです。これも、手腕の役目は串の向かう先を決めることで、串を打つための動力は背中(もっと言えば身体全体だったり脚だったりします)を使うべきなのです。
串を打つ動きを手首から身体ごと食材に押し込むことで実行する。身体全体を使って串打ちをしているように見えますが、身体は使っていません。身体を食材だったりまな板に向かって押し込む力で串打ちをしようとしています。これは、肩・肘・手首・指の関節を食材やまな板に向けて圧迫させる動きです。
作業する手元を見るために前かがみになり頭を食材に近づける。食材をよく見ようとするために食材に近づきすぎています。食材で視界をいっぱいにしてしまう動きです。下へ向かってしまう頭を支えるために、前傾してしまう身体を支えるために、本来串打ちとは関係のないところを緊張させ続けることになります。
串打ちが健康を良くするように働くというのはどういうことでしょうか。
背中を使うことで、首が串を打つ動力を担うことがなくなれば、首は楽でいられます。背中を使うことで、手腕が串を打つ動力を担うことがなくなれば、手腕を固めることなく串の向かう先を示すことができます。背中を使うことで、身体を食材やまな板に向かって押し込むことを串を打つ動力にしなければ、関節を圧迫せずに、身体全体を縮めることなく長く広く使うことができます。必要のない前傾をなくすことができれば、必要のない緊張を伴うこともなくなります。これらは、身体のどこも邪魔することなく背中(それは、身体全体だったりお腹だったり脚だったりする)を使うことで、首も手腕も本来の自分の仕事をすることができるようになります。その串打ちの動作は、同時に必要最小限の腹筋と背筋(実際は身体全体)の運動を伴い、身体全体が自然と働くようになります。同時に手腕の動作も必要最小限となり、串を打つのにちょうどよい仕事をする腕になるのです。そうして、身体全体の関節を縮めることがなければ、身体全体のネットワークが連携して働き、いい感じに強い身体になります。
実際に串打ちの仕事をするには、串打つだけではなく、他の作業もあるでしょうから、そんなに単純ではないかもしれません。既に習慣となってしまうと、それを変えるのはなかなか難しいのも事実です(アレクサンダー教師はそれを変えるのが仕事です)。習慣になる前に、軌道修正するのが理想です。
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