アレクサンダー・テクニークのレッスンでは、間違った自分の使い方に気づき、間違った自分の使い方をやめ、間違った自分の使い方を発動させずに、正しい自分の使い方を見つけ、正しい自分の使い方を身に着けていきます。
彼は、それはひとつの山の頂上から別の頂上を見るようなものではないか、と思っていた、と言った。「つまり、頂上から頂上の距離は短いけれど、山の斜面を下り、それから別の斜面を上がる全工程は長い」
アレクサンダー・テクニークある教師の思索 P71間違ったことから正しいことへ
自分の使い方が間違っていて、人間としての機能が悪くなっているとします。これは間違った山に登ってしまった状態です。あー、登りたかったのはここじゃないんだよなーっと気づくことが始まりです。そうして、本当はあっちの山に登りたかったんだよなーということもわかっていないといけません。本当に登りたかった山が、自分を正しく使えていて、人間としての機能が良くなっていることです。これがわかっていないと、山を降りても、また別の間違った山に登るだけです。
では、間違った山の頂上から、正しい山の頂上へ行ってみます。
最初にすることは、「山の斜面を下る」ことです。これは、自分の間違った使い方をやめること(インヒビション/inhibition)です。次に山の下にいられること(non-doing)が大切です。山に登りたい気持ちが先に立つと(エンドゲイニング/end-gaining)、また間違ったもとの山に登ってしまうからです。それは間違った別の山かもしれません。正しい山の頂上に向かう道筋を確認しながら(手段/meands-whereby)確実に登っていきます(ダイレクション/direction)。
山の頂上から頂上へひとっ飛びに行けないのは、間違った自分の使い方から一足飛びに良い自分の使い方にいくことはできないということです(だと思う)。飛行機、ヘリコプター、ハングライダー、現在行けそうなのはいろいろありますが、どれも一般人には無理です。アレクサンダー教師と一緒にやるとできるのはこれに近いのかもしれません。
しかし彼は教師の手の助けのおかげで、自分がこの全工程をほんの数秒ですませてしまったことがわかった。
アレクサンダー・テクニークある教師の思索 P71間違ったことから正しいことへ
ほんの数秒ですませてしまうってスーパーウルトラアレクサンダー教師です。それかレッスンを受けた人が、自分の使い方が良くなるためにあともう一押しの助けがあればいけるところまできていたかのどちらかです。
<本文中に関連するリンク>
不必要なことは何もしない(non-doing/ノンドゥーイング)に関する記事
手段(means-whereby/ミーンズウエアバイ)をテーマの中に含む記事
方向づけ(direction/ダイレクション)に関する記事
結果至上主義(end-gaining/エンドゲイニング)に関する記事