アレクサンダー・テクニークでは、自分の間違った使い方として「ブレーキをかけながらアクセルを踏む」というブレーキとアクセルの同時踏みを比喩として使います。つまり、このときのブレーキとアクセルは両方とも自分の間違った使い方であり、不必要な緊張が生じているため、両方とも抑制の対象になります。
このブレーキとアクセルの比喩が間違った解釈で使われることがあります。そのひとつが、「抑制するべき古い習慣がブレーキ。方向付けした新しい自分の良い使い方がアクセル。」という説明です。これは、自分の間違えた使い方がブレーキで、自分の良い使い方がアクセル、と言っているだけです。この表現では、ブレーキとアクセルの同時踏みは起こっていません。
ブレーキとアクセルの比喩が間違った解釈で使われることがもう一つあります。「頑張りすぎている筋肉がブレーキ。本来働くべき筋肉がアクセル」という説明です。ここには、ブレーキとアクセルの同時踏みが起こっているかどうかの説明はありません。働くべき筋肉が働いていないとき、代わりに頑張って働きすぎている筋肉がある、ということを説明しているだけです。もちろん、これも自分の間違った使い方のひとつです。しかし、これはアレクサンダー教師がブレーキとアクセルの比喩を使って伝えたいことではありません。
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