医療にかかるとき、どのような薬を使うか、どのような手術にするか、そもそも手術をするかどうか、医者にかかるかどうか、患者としての私達にも選択の権利はあります。もちろん選択するどころではない必須な場面もあります。それでも、ある程度納得したものを受け入れたいという意見は尊重されています。
アレクサンダー・テクニークでもそれは共通のように思います。
アレクサンダー教師にとって、アレクサンダー・テクニークが良い結果を生むだろうという推測がある場面でも、レッスン生にとってはそれを受け入れたくないことはあります。それは、アレクサンダー教師の立場からすると、今まで身につけてきた習慣が間違った使い方の原因となっているため、その習慣を取り除くべきだという場面です。レッスン生にとってその習慣はとても大切なものであり、リスクを伴うものであっても取り除きたくないことがあります。そのときレッスン生は意識的にそれを選択しています。ということは、アレクサンダー教師はレッスン生のその選択を尊重するべきだろうと、私は思うのです。
その習慣を大切にしている理由は何か、よくよく考えることは必要です。もしかしたら、習慣は変えたくない、だけど今の自分を変えたい、という意識的なものと無意識的なものが一致していなくて戦っているだけかもしれないからです。
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