串打ちの時の話です。以前に、背中を使えたらうまくいくようになった、その後に、「背中を使えば良いんだ」と思いながら串を打っても、全くうまくいきませんでした。「背中を使おう」と思いながら串を打つのと、背中を使って串を打つのは違うのです。
また最近ですが、グラム合わせのことを考えながら串を打ったらうまいこといきました。もちろん、そのときのことは覚えています。それで、「グラム合わせのことを考えれば良いんだ」と思いながら串を打ちましたが同じようにはいきませんでした。「グラム合わせを意識しよう」と考えながら串を打つのと、実際にグラム合わせを意識して串を打つのとは同じではないのです。もしかしたら、そのときの私はグラム合わせを意識していたかもしれないけど、それに連動した別の何かがうまくやってくれたのかもしれません。
うまくいったとしても再現しようとしてはいけません。再現しようとしてもいいのですが、それで再現することはできません。なぜなら、再現しようとすることは結果至上主義(エンドゲイニング/end-gaining)だからです。たまたま、再現しようとして同じことが起こる可能性もあります。でも、それは運が良かっただけ。それを繰り返すことは、「今日は調子が良かった」「今日は調子が悪かった」と運試しのようになってしまいます。うまくいったときの自分と全く同じ自分というのはほとんど不可能です。頭首背中の関係性から、気持ちの持ちよう、その日の手や脚の感覚、眼の前のものの見え方、その日の自分を作り上げる条件というのは本当に限りなく多くあるのです。本当にするべきことは、毎度一番いい自分でいること(手段/means-wherebyを考えること)です。それだけです。それでもできないことが多いですが、こっちの場合は、できる確率が上がっていきます。
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