9月、Workshop 串打ちをしている自分の観察 を大岡山のメゾンドシャポーさんをお借りしてやります!
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現在必要な力の大きさで動く

アレクサンダーテクニークとは

脚と身体のつながりがまだよくわかっていなかった私は、どうやって脚と身体のつながりをみつければいいのかわからないままでした。わかっていたことは、脚を動かそうとすると、太ももの股関節に近い部分が頑張ってしまうこと。骨盤を動かすと太ももの股関節に近い部分の頑張りが消えることがあること。右のお尻の奥のほうに頑張っている筋肉があって頑張っている自覚がないこと。脚と身体のつながりを妨げているものが何なのかわからないこと。

それでも、背中を使うと良いらしい、ということは一度体験をしていました。このときは、これで背中が使えていると思っていました。

それでも、脚と身体がつながっているというのがどういうことかわからない。とりあえず、脚と身体がつながるというくらいだから、脚と身体がお互いに情報を交換しているはず、と思って始めてみたことがあります。脚を上げるときに、上げるタイミングを身体に任せようと思ったわけです。座ったり立っているといろんな事情が絡んでくるので、床に横になって(ライダウン/lie-down)やることにしました。

床に横になって(ライダウン/lie-down)、脚を床につけたところから。脚を上げてみることにしました。身体に任せると決めたので、脳内で脚を上げようと思ったタイミングで脚を上げないことにしました(あれ、これは抑制/inhibition じゃないか、と後で気づく)。以下、私の脚と身体のやりとり。

脚:上げるよ。
身体(背中):じゃ、こっちもいくよ。
脚:よろしく。
身体(背中):少しずつ行くよ。
脚:こっちも少しずつ行くよ。
身体(背中):これでどうかな。
脚:いい感じ。もう少しかな。
身体(背中):これくらい?
脚:んー、もうちょっと。
身体(背中):これは?
脚:上がりそう。もう少し。
身体(背中):これでどう?
脚:お、上がり始めた。
身体(背中):このままいくよ。
脚:上がった上がった。そのままお願いします。
身体(背中):上がったね。
脚:上がったよ。お疲れ様。
身体(背中):お疲れ様。

脚も身体(背中)も必要最小限の力で働きます。これをやったところ、いかに脚が重いかがわかりました。身体(背中)が働かないと上がらないと思ったくらいです。脚が上る前に身体(背中)が働くのですが、身体(背中)も必要最小限の力で働くために、ちょうどいい加減のところで脚が上がり始めます。それがわかるのは、身体です。だから、身体に脚の上がり始めを任せたのです。これを始めたばかりのときはとても大変でした。でも、「今まで使っていなかったところは1週間すれば働き始める」と自分で今まで言ってきたので、今回もそうかもしれない、と思ってやり続けました。

1週間くらいたって、楽に動くようになりました。楽に動くので、つい脚と身体(背中)のつながりを忘れそうです。ふと思いついて、椅子に座って脚を動かしてみました。脚を動かすときに、以前に硬くキュッと縮んでいた太ももの股関節に近いところが縮むことなく楽に動くことが確認できました。でも、このことは、「背中を使ってる」と思っていた前回のブログのときもそうだったはずです。

「背中を使っている」と思って脚を動かしていた、前回のブログのときと何が違うのでしょうか。前回のときの脚と身体(背中)のやりとりは、

脳:脚を上げます。
脚・身体(背中):はい。
脳:まず、身体(背中)使って。
身体(背中):はい、背中使いました。
脳:次に脚上げて
脚:はい、脚上げました。
脳:脚が上がりました。また、よろしく。

このときは、脚が動き出す前に(脚より身体が先に働くというのをどこかで耳にして、脳内でその順番を指示していたにすぎない)、身体(背中)が、「背中を使うとはこういうこと」と思っていることを一気にやっていました。その後で脳からの司令で脚を上げていたのです。確かに、脚の負担は減りました。でも、これは脚と身体(背中)はつながっているように見えて、つながっていないのです。なぜなら、脚と身体(背中)との連携は無く、脚を上げるのにちょうどいい最小限の力がどのくらいかわからないまま、「背中を使って」「脚を上げて」いるからです。そのときの身体(背中)の力が必要以上の力であれば、脚は楽に上がりますが、そこには不要な緊張を含みます。繰り返していると不要な緊張から起こる身体の歪み・痛みが起こる可能性があります。そのときの身体(背中)の力が必要以下の力であれば、脚は上がりません。するとその脚を上げようとして、脚が必要以上に頑張り始めるかもしれません。どちらにしても、必要以上の不要な緊張が発生します。

ほとんどの人の場合、特定の動きをするのに必要な筋肉運動の量を正確に測定することを、筋感覚システムが教えられていない。そのため運動はつねに必要な量を超えている。

F.M.アレクサンダーによる著書要約 アレクサンダーテクニーク 
部第思考と身体の習慣からP9

この例えの中で、F.M.アレクサンダーは、紙で似せた大きなダンベルを持ち上げることを取り上げています。それを目の前にすると、大きなダンベルを持ち上げようと全力を使い、「あれ、」となることは想像できます。現代では本やスマホを見ながら階段を登っていて、最後の一段を登り終えたのに気が付かず、さらに階段を登ろうと脚を出して、スコッとそこには存在しない階段に脚を突っ込み、バランスを崩すことも経験あると思います。どちらも、現在必要な力の大きさを、実際に確認することなく予測して身体が力を出しているということです。それは、わかりにくいかもしれませんが、日常の些細な動作にも当てはまるのです。

しかし、このようにして脚と身体(背中)がつながりながら身体を動かすのは、慣れないうちはとても時間がかかります。私は今この段階なので、想像でしかないのですが、慣れてできるようになれば、舞台で試合で横断歩道の上で使えるようになるのだと思います。


<本文中に関連するリンク>

全身はつながっているに関する記事

背中を使うに関する記事

必要最小限の力に関する記事

masako

アレクサンダー・テクニークのレッスンを目黒区にて 楽しくわかりやすく、伝えていきます。 2023年9月 アレクサンダーテクニークスタジオ東京(ATST)の教師養成講座を卒業 2023年10月 STAT(英国アレクサンダー・テクニーク教師協会)認定教師の資格を取得 神奈川県立生田高等学校卒業 東京理科大学理学部応用数学科卒業 高校・大学・社会人と合唱を続け現在は楽器としての声を勉強中 1970年生まれ 1児の母

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