全体的に能動的な取り組みが必要と言われる中で、受動的なという言葉が出てくるのは不思議な感じがしますが、自分の身体に起こっていることに気がついていく過程は受動的です。アレクサンダーの学校の先生からも「情報は取りに行かないこと」と教わりました。何が起こっているのかを能動的にとりにいこうとすると、とりにいこうとしたところしかみえないのだと思います。「そこにあるかもしれない」と取りに行くことで自分に起こっていることが歪んでみえるのかもしれません。「そこにあるかもしれない」と意識を向けることで、起こっていなかった何かを起こしてしまう可能性もあります。以前に、合唱の指導をされていた先生が、網を広げると、網にかかった魚のように、気になるところが、ここ、そこ、と見えてくると、言っていた記憶があります。受動的に情報を受け取るということは、それに近い気がします。
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