アレクサンダー・テクニークでは、自分の間違った使い方として「ブレーキをかけながらアクセルを踏む」というブレーキとアクセルの同時踏みを比喩として使います。本来はアクセルを踏み、その踏み加減でコントロールするのが自分の良い使い方にあたります。しかし、意識的であれ無意識的であれブレーキとアクセルを同時にかけることが、本来起こそうとしている自然な動きを妨げます。(ここでは車ではなく人間のことです。)このときのブレーキとアクセルは両方とも自分の間違った使い方であり、不必要な緊張が生じているため、両方とも抑制の対象になります。おそらくそのとき本人はどれがブレーキでどれがアクセルかわからないばかりか、ブレーキとアクセルの同時踏みをしていることすら気づいていません。とにかくそのときやろうとしていることを辞める必要があります。
声を出すときに喉を締めてしまうこと
声を出すときに喉を締めてしまうことを考えてみます。これは、声を出すときにその喉を閉める力が必要だと身体が思い込んでしまっていて、そこから生じる不必要な緊張が声帯の自然な振動を妨げています。そうすると、本来働くべき声帯が働いていません。それでも「声を出さなくては」という思いから、声を出そうとします。
このときの、喉を締めて声帯の自然な振動を妨げているのがブレーキです。それでも、「声を出さなくては」という思いと、その思いから生じる、声を出そうとすることがアクセルです。
関節を固めながら膝を動かそうとすること
日常的に膝の関節(特定の関節であればどこでもいいのですが、ここでは膝で説明します)を固めていたり、膝を動かすときにはその関節を固めないといけないと身体が思い込んでいると、膝を動かすと同時に膝の関節を固めます。やっかいなことに関節は固めていても動かせます。このとき、固めている膝の関節は、膝の自然な動きを妨げます。それでも「膝を動かさなくては」という思いから、膝を動かそうとします。
このときの、膝の関節を固めて自然な動きを妨げているのがブレーキです。それでも、「膝を動かさなくては」という思いと、その思いから生じる膝を動かそうとすることがアクセルです。
歯医者さんで口を開け続けること
歯医者さんで口を開けるときのことを考えてみます。(全員に当てはまるわけではないかもしれませんが、)顎を噛みしめる力を抜くことができないでいると、口を開けるときに、それに反発して口を閉じようとする力が働きます。けれども本人は「口を開け続けよう」という思いから、必要以上の力を使って口を開けます。
このときの顎を噛み締めて口を閉じようとする力がブレーキです。それに対して「口を開け続けよう」という思いと、その思いから生じる、口を開けようとすることがアクセルです。
レバーを串に刺す
レバーを串に刺すときのことを考えてみます。レバーをただ串に刺すだけでいいのですが、このときにレバーを潰さないようにしなくてはと思うと、自分の力を抑え込もうとする力が働きます。そして、肩肘手首(時には全身のことも)を固めます。そのために、レバーを刺すのに必要以上の力を使います。
このときの、「レバーを潰さないように」という思いが、肩肘手首(時には全身)を固めて抑え込みます。これがブレーキです。それに対して、レバーを刺そうとする動作がアクセルなのですが、身体を固めて抑え込まれているので、必要以上の力を使うアクセルとなります。
川の途中で小石や小枝、葉っぱなどがつまる
川の流れが遮られ水が滞るときのことを考えてみます。小石や小枝、葉っぱなどが流れてきて溜まるためだとします。このとき、つまっているところの前後では水の流れが滞り、流れが鈍くなり、時には流れなくなります。このとき、自然はなんとかして水を流そうとはしません。流れを遮っているものを押し流そうともしません。流れが遮られているのを受け入れています。別の言い方をすれば、遮っているものが流れ去っていくのを待っているとも言えます。大雨が降って水かさが増せば流れるかもしれません。もしかしたら、水の中の生き物がなにかの拍子に流してくれるかもしれません。
このとき、川の流れを遮っている小石や小枝、葉っぱなどがブレーキです。その川が流れようとする力がアクセルですが、自然は意図的にアクセルを踏むことはありません。しかし、ブレーキが解除されることがあれば、アクセルは自然に機能します。
ブレーキとアクセルの同時踏みは自分の間違った使い方を表現したものです。そうして不必要な緊張が起こっています。そのため、まずはブレーキとアクセル両方(そのときやろうとしていること)をやめる必要があります。
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