小学生の頃、プールでビート板を使うとき、ビート板にしがみつかないようにいわれたことを覚えています。同じことなのかなと思いながらやっているのは、苦手な動きやできない動きをするときに、壁やテーブルに体重をかけないように手を置くことです。
不思議です。体重をかけないようにしているので、触っているだけなのですが、触れないでいるより安定するのです。苦手を克服したいと思っているときに、壁やテーブルに手を置くのは邪道のように感じていたのですが、よくよく考えてみるとこんないいことはないのです。
苦手だったりできない動きなので、手を置かないでいるとフラフラします。そしてフラフラするので、バランスを取るために身体のいろんなところをキュッと緊張させて固めます。ということは、本来働かせたいところが働いていないのです。その代わりに違うところを緊張させて固めているのです。これではいつまでたっても働かせたい所は働きません。
まずは、苦手とする動きをする前に、そのキュッと緊張させて固めてしまう動きを止めます(インヒビション)。働かないところの代わりに別のところが緊張したり固まったりしないようにします(インヒビション)。まだふらつくようなら、サポートの選択肢の一つとして接点をふやしたり、難しさのハードルを低くしてみます(インヒビション)。non-doing(《不必要なことは》何もしない)でできるところを見つけたら、そこからnon-doing(《不必要なことは》何もしない)のまま接点などのサポートを減らしていき、苦手な動きに近づけていきます。その動きで働くべきところが働くようになっていれば、体重をかけないで触れていただけの手を外せばいいだけです。
アレクサンダー・テクニークのレッスンで目の前の人に手を置くときも同じことが起こっていると思われます。背の高い人に手を置くとき、つま先立ちになることがあります。ただつま先立ちするだけだと、長い間立っていられませんが、目の前の人に手を置いているといつまででもつま先立ちしていられます。もちろん、その人に体重をかけることはなく、触れているだけです。普通にワークをしているときも手を置いているので、お互いに接点が増えて安定するのではないかなと思うのですが、お互いに壁でもテーブルでもないのでそう単純でもないのかもしれません。
<本文中に関連するリンク>
動きの中の不要な緊張をやめる(inhibition/インヒビション)に関する記事
不必要なことは何もしない(non-doing/ノンドゥーイング)に関する記事