9月、Workshop 串打ちをしている自分の観察 を大岡山のメゾンドシャポーさんをお借りしてやります!
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手段と結果についての議論 – 1

アレクサンダーテクニークとは

以下はNotebookLMで作成した、架空の二人が「手段と結果」について「議論」する音声解説についてです。二人は議論するために次の立場をとります。一方の立場を太字で表し(Aとします)、もう一方の立場は斜字で表す(Bとします)ことで区別しています。後の解説も、太字(A)と斜字(B)で合わせてあります。

Aの発言:
私はですね、資料が示しているそのアレクサンダーテクニックの教えに、基本的には添いましてプロセス、すなわち手段への意識的な取り組みこそが、不要な緊張ですとか間違いを避けて最終的にはより良い望ましい結果に至る、唯一の道であると そういう風に考えています。結果にこう囚われずにいかに行うかという点に集中することの重要性を、主張したいと思います。

Bの発言:
なるほど。一方で私はですね、そのプロセスの重要性というのは、十分に認めつつもやはり結果への思考というのも、人間の行動には不可欠な要素ではないかと、そう考える立場です。手段に意識を集中しすぎるあまりに現実の世界で求められる例えば効率であるとかスピードであるとか、あるいは、目標達成そのものから 帰って遠ざかってしまう。そういった可能性はないだろうかと。手段と結果の間により適切な、バランスを見出すべきではないかと、そういう視点から今日は議論に参加したいと思っています。

NotebookLM

議論をするうえで対立する立場をとるために、A は「結論より手段が絶対大切」、B は「手段が絶対大切とはいいきれない、手段と結果のバランスでは」と言っています。ここで二人は「手段」と「結果」の大切さを天秤にかけているわけですが、これは「手段」と「結果」だけの話になってしまっていて、アレクサンダー・テクニークの考え方からずれています。

結果にとらわれずよりよい手段を求めて行動にうつすとき、意識的にそれを選んで行動していれば問題ありません。また、手段を見直すことなく結果を求めて行動にうつるときも、意識的にそれを選んで行動している場合、アレクサンダー・テクニーク的には問題ありません。つまり、「立ち止まる」「立ち止まらない」、どちらも、意識的にそれを選択して行動しているのであれば、アレクサンダー・テクニーク的には問題ないと言えます。アレクサンダー・テクニークが問題とするのは、それが意識的ではなく、無意識に自動的に行動してしまう場合です。

ということは、結果を求めて行動にうつすとき、自分が起こす行動に他の選択肢(手段を見直すこと)があることを忘れて無意識に自動的に結果に飛びついてしまうことが問題なのです。一方、手段を見直すという行動にでたとき、自分が起こす行動に他の選択肢(結果を意識すること)があることを忘れて無意識に自動的に手段ばかりを追い求めてしまうと、それも問題となります。

つまり、やってきた「刺激」に対して「意識的」に「反応」を「選択」しているのであれば、その「反応」が「手段をとること」であろうが「結果をとること」であろうが問題ありません。

そうして、そのときに選択した自分の行動に自分で責任をもつことです。もうこの時点で、「手段」か「結果」かという議論はなくなって「終了」なのですが、一応この後に続く言葉も取り上げたいと思います。


<本文中に関連するリンク>

手段(means-whereby/ミーンズウエアバイ)をテーマの中に含む記事

結果至上主義(end-gaining/エンドゲイニング)に関する記事

masako

アレクサンダー・テクニークのレッスンを目黒区にて 楽しくわかりやすく、伝えていきます。 2023年9月 アレクサンダーテクニークスタジオ東京(ATST)の教師養成講座を卒業 2023年10月 STAT(英国アレクサンダー・テクニーク教師協会)認定教師の資格を取得 神奈川県立生田高等学校卒業 東京理科大学理学部応用数学科卒業 高校・大学・社会人と合唱を続け現在は楽器としての声を勉強中 1970年生まれ 1児の母

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