9月、Workshop 串打ちをしている自分の観察 を大岡山のメゾンドシャポーさんをお借りしてやります!
BLOGブログ
Something comes to mindあんなことやこんなこと

9

手段と結果についての議論 – 6

アレクサンダーテクニークとは

以下はNotebookLMで作成した、架空の二人が「手段と結果」について「議論」する音声解説についてです。太字(A)と斜字(B)の立場の違いは前回と同じです。後の解説も、太字(A)と斜字(B)で合わせてあります。

Aの発言:
それは重要なご指摘だと思いますが抑制は単に反応を停止させるとか我慢するということとは少しニュアンスが違うんですね。抑制はいわばより良い選択をするための意識的なスペースを作り出す行為なんです。資料にもあるように無意識の反応、いわば心身の癒着とも呼べるような固着したパターンに気づかないままただ新しい動きを上書きしようとしても根本にある問題が解決されなければ表面的な変化にとまってしまうことが多いんです。抑制によってまず自動的な反応の流れを断ち切る。そうして生まれたスペースの中で意識的により望ましいあり方、つまり方向付けディレクションですね。これを選択し直す。このプロセスを経て初め古い習慣の支配から抜け出して新しいより質の高い反応を選択する自由が生まれると考えるわけです。

Bの発言:
なるほど。スペースを作るという表現は、分かりやすいですね。ただそのスペース作りのプロセスが例えばスポーツの試合中とかあるいは突作の判断が求められるような緊急時など迅速な反応が必要とされる場面においては逆に行動の遅れを招いて不利に働くということはないでしょうか?
また抑制しなければとこう考えること自体が新たな思考のループ資料にもあったような考えがぐるぐる回ってしまう状態を生み出してしまって別の種類の緊張とかかえって行動をためらわせる原因になるそういう可能性はないでしょうか?
常に内省して自分の反応をコントロールしようとすること自体のその潜在的なデメリット、負担というものもやはり考慮に入れる必要があるように思いますね。

NotebookLM

Bの発言について

「スポーツの試合中とかあるいは突作の判断が求められるような緊急時など迅速な反応が必要とされる場面」では、必要とされる行動をとればいいのです。そこまで意識的になれるのであればアレクサンダー・テクニークは必要ないのかもしれません。しかし、このことを発言しているBさんは、そのプロセスが身についてくると、全ては動きの中でできるようになるということがわかっていません。ということは、ほんとうの意味で意識的な選択が身についてはいないと思われます。いくら現代に生きる人が様々な事柄に追われているとはいっても、年がら年中毎日1日中迅速な反応を求められていることはありません。いくらか時間をとれるときが一日の中にあります。最初は、そういう時に意識的な反応の選択に取り組んでみます。そうして、身についてきたら、応用する場面を増やしていくことができるようになります。

「抑制しなければと考えること自体が新たな思考のループを生み出してしまって別の種類の緊張とかかえって行動をためらわせる原因になる」→アレクサンダー教師はそういった思考のループや緊張に気がついて習慣にならないようにします。ほとんどの緊張は、良かれと思ってはじめたことから起こることが多いからです。その原因がアレクサンダー教師の指示であっても同じことです。自己流または独学でやっているとそうなるかもしれません。

「常に内省して自分の反応をコントロールしようとすること自体のその潜在的なデメリット、負担というものもやはり考慮に入れる必要がある」→デメリットや負担になるほどできる人はいません。しかし、「活動中に何かに気がついて一旦活動を停止して違う反応を選ぶ」ということは、日常的に私達はやっています。バスの中でお年寄りに気づいて席を譲る。電車の中で小さな子供連れのお母さんに気づいて席を空ける。車が通るのに気づいてよける。先生が来るのに気づいておしゃべりをやめる。これらは自分の外からやってくる刺激に対しての反応ですが、自分の中からやってくる刺激に対しても同じことです。これらには気づく人と気付かない人がいます。気づく人はよく気づくのに、気付かない人はなかなか気づきません。普段そこにアンテナをどのくらい張っているのか、その経験値で変わってきたり、身近にそういう人がいると気づきやすくなったりします。気づく人は100%気づくわけではありません。気づかない人よりは気づくという相対的なものです。自分がやっていることに気がついて自分の反応を変えていく、これも同じことであり、日常生活の中で実践していくことは可能です。きちんと目を開けて自分の外に起こっていることを見ながら自分がやっていることに気がつくことはできます。アレクサンダー・テクニークのレッスンでは目を開けて自分がやっていることに気がつくことに取り組んでいきます。

結果が大切で手段のことをそれほど必要に感じていない人は、アレクサンダー・テクニークのレッスンに来ることはないと思われます。自分でそれを意識して選択しているので、問題にはなりません。そのことが原因で、身体を痛めたときは、思い出してくれると嬉しいかなと思います。

この後の議論の続きは、最後まで行っても結論がありません。訂正・修正・加筆しようとすると同じ事を繰り返すことになるので、「手段と結果についての議論」はここまでにしたいと思います。


<本文中に関連するリンク>

手段(means-whereby/ミーンズウエアバイ)をテーマの中に含む記事

結果至上主義(end-gaining/エンドゲイニング)に関する記事

masako

アレクサンダー・テクニークのレッスンを目黒区にて 楽しくわかりやすく、伝えていきます。 2023年9月 アレクサンダーテクニークスタジオ東京(ATST)の教師養成講座を卒業 2023年10月 STAT(英国アレクサンダー・テクニーク教師協会)認定教師の資格を取得 神奈川県立生田高等学校卒業 東京理科大学理学部応用数学科卒業 高校・大学・社会人と合唱を続け現在は楽器としての声を勉強中 1970年生まれ 1児の母

RELATEDたぶん、同じカテゴリーの記事だと思う

関連記事

PAGE TOP