自分の良い使い方がわかってくると、自分の間違った使い方が痛みを伴うなど何か嫌な要素がそこにあることがわかってきます。自分のどこかを痛めてアレクサンダー・テクニークを始めた場合はそれが顕著なので自分の間違った使い方を避けようとします。
ところが、自分のどこかを痛めてたわけではなく、何かいいことがあるらしいという理由でアレクサンダー・テクニークを始めた人は、間違った使い方をしてもそれほど困ったことは起こらないために、間違った使いかたを避けようという努力は少ないかもしれません。そこで良い使い方ができるようになっても、日常生活では間違った使い方のままでいることが多くなります。
けれども、何か困難がふりかかってくるのはたいていは突然です。何か避けなければいけないものが近づいてきたとき、自分が良い使い方でいるなら避けることはできるかもしれません。しかしその瞬間に自分が良い使い方をしていなかったときは、とっさに良い判断をして動ける可能性は低くなります。そして、それまで間違った使い方のままでいた自分が、その瞬間だけ突然良い使い方になるのは無理があります。
上橋菜穂子さんの守り人シリーズのバルサや獣の奏者のイアルは、常日頃から良い使い方の中に身を置き、何が起きても対応できる心と身体でいるからこそ、襲いかかってくるものに反応できるのです。お話の中の人だし、現実にはありえないこともやってるかもしれませんが、考え方としてはそんなところです。
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