アレクサンダー・テクニークのレッスンでアレクサンダー教師はレッスン生に手を触れながらレッスン生の身体をいくらか動かします。確かに、動くきっかけをつくっているのはアレクサンダー教師の手かもしれません。けれども、レッスン生にとって動いてもいいと心も身体も納得していなければ、関節なり筋肉とその周辺の組織なりはアレクサンダー教師の手に抵抗します。アレクサンダー教師はそれを無理に動かそうとはしません。動かないのは、関節に摩擦が起こっている可能性もあるし、本来動くのはレッスン生本人だからです。
または、身体が動けないと思いこんでいてレッスン生本人が気が付かないまま抵抗しているときもあります。そのときは、レッスン生に「ここ(ががんばっているの)やめられるかな?」と気づいてもらうように声掛けをします。
または、「自分の意思で動くんだ」というこだわりから、「アレクサンダー教師の手にされるがままにならないぞ」とばかりに意識的に抵抗する人もいます。この場合はレッスンの目的を理解してもらうのを待つしかありません。
または、アレクサンダー教師の手が動き出すと、無意識のうちにそれを予測して自分から動き出すレッスン生もいます。わりとよくあるパターンですが、意識して予測する行動とは違って無意識の動きです。おそらく、人間社会において他者に迷惑をかけないように、他者のことを考えて行動するというのがしみついた結果なのかなと思うのですが、これはこれで人間はすごい能力をもっているなと思います。けれども、アレクサンダー・テクニークのレッスンにおいてはこれは刺激に対する反応であり、自分の持っている習慣的な動きにあたるものであるため、新しい自分の使い方を身につけるためにはやめてもらう必要があります。
似ているものに、アレクサンダー教師が手を動かすと、「こうやって動いてほしいのね」とばかりに自分から動き出す人もいます。アレクサンダー教師は、レッスン生に動いてほしくてその身体を動かしているわけではありません。
では、どうすればいいのか。一言でいえば、何も考えないでいいし、何もしないでいいのです。心も身体も余計な干渉をしなければ、抵抗することも先にいくこともなく、アレクサンダー教師の手といっしょに動くことができます。そういう身体であってほしいのです。
最近は小さい子の相手をしていないので実際にそうなのか未確認ではありますが、生まれたばかりの赤ちゃんから幼児(実際は何歳くらいまでなのか)は、その手をとって「せっせっせーのよいよいよい」とやっても抵抗することなく先にいってしまうこともなく軽く動くのではないかと思います。それがいつからか、抵抗したり、先読みして動き出したりするようになるのです。最初は必要なものだったかもしれませんが、その多くは不要な緊張として残っていくのです。
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