レッスン生の手を取ると、そのとたんレッスン生は手を上げようとしたり手を下ろそうとしたりするときがあります。しかし、そのときのアレクサンダー教師は、手を上げてほしかったわけでも手を下ろしてほしかったわけでもありません。手をとると、そのときの腕の状態(経験豊富な先生はそれだけではないかも)がわかるから手をとるのです。
横になっている時、枕の高さを変えようとしてレッスン生の頭を持ち上げようとすると、横になったまま首の力だけで頭を持ち上げてその状態を保ってくれるときもあります。首を楽に自由にしてもらいたいアレクサンダー教師はそういうことを望んではいません。頭に手を置いて枕の高さを変えるために持ち上げるのは、トレーニーの間に訓練されます。
それらは、頭で考えて一緒にいる人のことを気遣って動いているときもありますが、その気遣いが一緒にいる人にとってやってもらいたいことと一致しているとは限りません。
また、考えているつもりもないのに身体が動いているときもあります。それは言われて気がつくのはまだ良いほうで、言われても気が付かないばかりか、自分でやめようと思ってもやめられないこともあります。これでは意識的に頭で考えていることと無意識に身体がしていることが一致していません。思考を通ることなく行動していることから、これは刺激に対する癒着した反応ということになります。自分の持っている習慣的な動きにあたるものです。筋感覚を育て新しい自分の使い方を身につけていくためにはやめてもらう必要があります。まずは、アレクサンダー教師の声掛けによって動いてしまうことをやめていきます。
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