アレクサンダー教師は、リラックスとか脱力・力を抜くという言葉をあまり好まないふしがあります。それは、リラックスとか脱力・力を抜くというとき、ほとんどの人が重力に対して上に向かうupの力がなくなり、身体全体が拮抗を保つ必要最低限働く力がなくなるからです。もちろん、そういう状態が必要な人や必要な場合もあります。夜寝ることも欠かせません。
ここで、特に困ることなく生活できる人を考えてみます。その人が、リラックスしよう、と考えたとします。どこに座ってもどこに横たわっても構わないのですが、このとき、ほとんどの人は重力に対して上に向かうupの力がなくなり、身体全体が拮抗を保つ必要最低限働く力がなくなります。さて、リラックスの時間を終わりにして活動を始めるとき、身体は重力に対して上に向かうupの力を取り戻し、身体全体が拮抗を保つ必要最低限働く力を思い出さなくてはいけません。何回もリラックスする度に脱力をする人は、リラックスする自分と活動する自分を行ったり来たりする度に身体は重力に対して上に向かうupの力を無くしては取り戻し、身体全体が拮抗を保つ必要最低限働く力を無くしては思い出すことを繰り返すのです。
ところが、実際ほとんどの人は、この重力に対して上に向かうupの力を無くして、身体全体が拮抗を保つ必要最低限働く力を無くしている時間が多く、重力に対して上に向かうupの力と身体全体が拮抗を保つ必要最低限働く力がどんなものか忘れてしまっています。そのために、重力に対して上に向かうupの力に身体が対応できずに起き上がる度に大変な思いをします。身体全体が拮抗を保つ必要最低限働く力を思い出せない身体は立っているだけでも疲れてしまったりします。植物で言うところのしおれている状態のように私は思うのです。
健康な植物は常にupの力を持ち、全体が拮抗を保っているのがわかります。人間も常にupの力を持ち、身体全体が拮抗を保って必要最低限働いている状態をアレクサンダー教師は生き生きしていると表現します。例え休んでいるとしてもその中にupの力は存在し、全体が拮抗を保ち続けます。これ自身は大変なものではありません。無くなってしまったときに取り戻そうとすると大変な思いをするだけです。これを保ち続けていれば、次の活動を始める時にも大変な思いをする必要はないのです。