9月、Workshop 串打ちをしている自分の観察 を大岡山のメゾンドシャポーさんをお借りしてやります!
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手段と結果についての議論 – 4

アレクサンダーテクニークとは

以下はNotebookLMで作成した、架空の二人が「手段と結果」について「議論」する音声解説についてです。太字(A)と斜字(B)の立場の違いは前回と同じです。後の解説も、太字(A)と斜字(B)で合わせてあります。

Aの発言:
その目標達成のためのプロセスを分解して改善していくということ。それ自体がまさにアレクサンダー・テクニークが手段ミーンズウェアバイとして重視している点なんですよ。問題なのはあくまで結果だけをこう請求に追い求めるあまりにそのプロセスつまり手段の質がないがしろにされてしまうことなんです。F.M.アレクサンダーが声の回復という結果そのものではなく自身の身体の使い方という手段の探求に立ち返ったようにですね、質の高い手段を、根気強く追求すること自体が最終的に最も望ましい持続可能な結果につながるんだという、そういう信念が根底にあるわけです。10 分で10本という結果だけを目標に据え てしまうと焦りから無理な力みが生じ たり動きが雑になったりして、非効率になったり、あるいは怪我のリスクを高めたりすることにも、繋がりかねません 。良い手段が結果を導くのであって、結果が手段を正当化するわけではないということですね。

Bの発言:
手段の質を追求することの重要性。それは理解しています。しかし、現実の社会、特に職業的な場面なんかでは時間的な制約であるとか達成すべきノルマといった形で結果に対する明確な要求が存在するということが多いのもまた事実ですよね。資料にも時間に追われる状況が描かれていますね。理想的な手段をこうじっくりと探求する時間的あるいは、精神的な余裕が常にあるとはやっぱり限らないわけです。そうしたプレッシャーの中で求められる結果を出すためには時にはそ理想的な手段から多少逸脱するようなある種の妥協とか事前の策を選択することも必要になってくるのではないでしょうか。
手段の追求それ自体が目的化してしまって現実的な成果を出すことからこう乖離してしまうとしたらそれ はそれで問題です。結果への健全な意識がなければ手段の改善も単なる自己満足に終わってしまって現実の課題解決には結びつかないというそういう可能性も考慮すべきだと思います。

notebookLM

Aの発言について

「良い手段が結果を導くのであって、結果が手段を正当化するわけではない」→結果が良ければどのような手段をとってもいい、というわけではない、ということを言っています。中には、「結果が良ければどのような手段をとってもいいではないか」と考える人もいると思います。しかし、結果が良かった(何に対して良かったのか、他の人と比べてか、今までの自分よりか、それによって考え方も変わってきます)とします。その時の手段が、不要な緊張を含むものであったとすると、その不要な緊張は実際の身体の活動を妨げる働きをしているために、除いたほうがさらに結果が良くなることは確実です。もう一つ、その時の手段が良いと考えて繰り返しその手段を取り続けると、その不要な緊張を習慣として身につけてしまいます。その不必要な緊張は、おそらくその近くの筋骨格系の関節に負担をかけ続け、仕事ができる寿命を縮めてしまいます。何年後かには、その仕事ができなくなり、負担をかけ続けた筋骨格系の関節を含む日常動作が不自由になってくると思われます。それをわかってその手段を選んでいますか、ということです。

Bの発言について

手段の質だとか、理想的な手段だとか、手段についての内容が具体的ではありません。さらには、「手段の改善も単なる自己満足に終わってしまって現実の課題解決には結びつかない」というのは、アレクサンダー・テクニークでいうところの手段とは違うものになっています。アレクサンダー・テクニークでいうところの手段というのは、現状から結果までの道筋をいくつかの段階に分けてそれを積み上げたものだからです。それは明らかに結果に向かっています。

「時にはそ理想的な手段から多少逸脱するようなある種の妥協とか事前の策を選択することも必要になってくる」と言っていますが、自分で考えて選択して行動しているのであれば問題ありません。アレクサンダー・テクニークでは、考えて選択することなく無意識に反応してしまうことを問題視しているのです。そのかわり、それを選択して行動することで起こった結果に自分で責任をもつ必要があります。習慣となってしまうと、何年後かには、その仕事ができなくなり、負担をかけ続けた筋骨格系の関節を含む日常動作が不自由になってくる可能性があるからです。

「手段の追求それ自体が目的化」というのは、手段と結果が逆転してしまうことを言っているのかもしれません。手段と結果が逆転するときというのは、良い結果が起こるときに、それに付随する結果として起こった他の現象をつかまえて、そこを目的として取り組むことです。現象としてそっちの方がわかりやすく取り組みやすいことから起こります。これはHowToものとして現実に存在します。この場合、本人は気がついていませんが、結果が出せないとは言い切れませんが、それだけで結果にたどり着くことはほとんどありません。


<本文中に関連するリンク>

手段(means-whereby/ミーンズウエアバイ)をテーマの中に含む記事

結果至上主義(end-gaining/エンドゲイニング)に関する記事

masako

アレクサンダー・テクニークのレッスンを目黒区にて 楽しくわかりやすく、伝えていきます。 2023年9月 アレクサンダーテクニークスタジオ東京(ATST)の教師養成講座を卒業 2023年10月 STAT(英国アレクサンダー・テクニーク教師協会)認定教師の資格を取得 神奈川県立生田高等学校卒業 東京理科大学理学部応用数学科卒業 高校・大学・社会人と合唱を続け現在は楽器としての声を勉強中 1970年生まれ 1児の母

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