ダンスで苦手な動きを教わっていて思いました。正しい動きがどういうものかわからないのに正しくしようとするのは無理です。正しくあろうとしている人は、頭で考え込んでしまっていて動きも遅くなります。そして明らかにそれは正しくないのです。
頼むから、わざと間違えようとしてみてくれ。万にひとつのチャンスで正しいかもしれないのだから。
アレクサンダー・テクニークある教師の思索 P18
そういうレッスン生を見ると、「間違っていてもいいからとにかく動いて」と声をかけるわけですが、これ、以前に書いた「力が入ってもいいからやって」に似ています。
「力が入っても(間違っても)いいからやって」と声をかける先生が何を思ってこの声掛けをするのかです。考えすぎてしまって袋小路に入ってしまったレッスン生を救助するために声をかけるまでは同じです。その声掛けを聞いて力が入った(間違った)まま動いているレッスン生をそのままにしてはいけません。その声掛けをした先生は、「力が入っても(間違っても)いいから」と言うからには、レッスン生が力が入っても(間違っても)いいからやって起こったことに対して何かしらの対応をとるべきです。そのレッスン生に自分で自分に入ってしまう不要な力をなくして正しい方へ持っていく能力があれば別です。そのことを知っていてその可能性があるのであれば、レッスン生に任せるという選択肢もあります。
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引用した文は下のリンク先にある文庫本の18ページにあります。(外部サイト)