今回の記事は専門用語多めです。
Non-doing(《余計なことは》何もしない)とは、全く何もしないことではありません。不必要なこと、余計なことは、何もしないということです。つまり、あらゆる動きの中にNon-doing(《余計なことは》何もしない)はありうるのです。
Non-doing(《余計なことは》何もしない)自分でいるためには、余計なこととはどういうことかわかっていなくてはいけません。そうして、余計なことをしている自分に気がついている必要があります。
余計なこととはどういうものでしょうか。
余計なこととは、不必要な緊張を伴う、自然な動きを遮るものです。その多くが習慣や癖として、刺激に対して無意識に反応してしまうものです。それが起こるきっかけはいろいろあると思います。例えば、良かれと思って始めたことが間違った自分の使い方だった場合、それを繰り返すことで不必要な緊張を伴った習慣となります。その、良かれと思って始める間違った自分の使い方というものは、正しいことをやろうとするときに起こりやすくなります。正しいことがどういうものかわからないうちは、正しいことをやろうとしないことが大切です。
この、Non-doing(《余計なことは》何もしない)の難しいところは、真似をすることができないということにあります。なぜなら、それは外から見えないからです。
では、どうすればNon-doing(《余計なことは》何もしない)でいられるのでしょうか。
Non-doing(《余計なことは》何もしない)でいるためには、身につけてしまった不必要な緊張を伴う習慣をなくしていく必要があります。そのために自分の間違った習慣を抑制(inhibition)しやめていくことと、方向づけ(direction)をすることで新しい自分の使い方が起こるようにすることが欠かせません。アレクサンダー・テクニークでは、抑制と方向づけを繰り返すことが、不必要な習慣をなくしていく手段だからです。もう一つ考えるべきことは、今はなくてもこれから習慣になってしまうかもしれないものを防いでいくことです。これには、不必要で余計なことが始まりそうなことに気づいて、習慣になる前に取り除いていく必要があります。
さらに、方向づけの中で忘れてはいけないものがあります。全身の機能を左右する、頭と首と背中の関係性(プライマリーコントロール)がいいものであることです。これは、方向づけの中でも常に外せないものです。
このように、Non-doing(《余計なことは》何もしない)ということをひとつ取ってみてもわかるように、アレクサンダー・テクニークの基本原則たちは、それぞれが単独で存在するものではありません。
<本文中に関連するリンク>
余計なことは何もしない(non-doing/ノンドゥーイング)に関する記事
抑制(inhibition/インヒビション)に関する記事
方向づけ(direction/ダイレクション)に関する記事
頭と首と背中の関係が身体全体の機能を左右する(primary-control/プライマリーコントロール)に関する記事