以前に演劇の学校の先生から、そんないちいち止まっていたら(抑制/inhibisionして余計なことしないで/non-doing方向性/directionを考えること)、軽くて素早い動きができないではないか、という言葉を聞きました。そのとおりです。刺激と反応の間に時間が必要になるからです。
でも、これは最初のうち(最初のうちというのが人によってどのくらいの年月がかかるのかは個人差があります)です。慣れてわかってくると、抑制/inhibition と方向性/direitionは表裏一体ですから、方向性/directionを出し続けながら余計なことをしない/non-doingで居続けることができるようになります。そうしてそれは、動作を伴い動きながら活動しながらできるようになるのです。
確かに、刺激に対して不必要な自分の何かに気がついて抑制/inhibitionするときは少し時間をとるかもしれません。しかし、そこで止まらないで突き進むことは、やってきた刺激に対して自動的に決まった反応に飛び込んでいくことです。舞台上の演じているキャラクターがそういう習慣を持っていてそういう反応をするということであれば、自動的に反応するのも一つのほうほうかもしれません。もし、そのキャラクターが不必要な緊張や余計なことをしている人物であれば、身体を固めたまま演じる必要もでてくるかもしれません。
しかし、そういうでない場合は、アレクサンダー・テクニークの視点から考えると、あらかじめ不必要な緊張や余計なことを除いたうえで、その刺激と反応をつなげたいところです。おそらく、不必要な緊張や余計なことが動きの中に含まれたままで刺激と反応がつながっているよりは、その方が軽くて素早い動きになるはずです。
作業を伴う仕事でも同じです。そんないちいち止まっていたら(抑制/inhibisionして余計なことしないで/non-doing方向性/directionを考えること)、軽くて素早い動きができないではないか、と思われるでしょう。やはり、刺激と反応の間に時間が必要になるからです。
この場合も、アレクサンダー・テクニークの視点から考えると、あらかじめ不必要な緊張や余計なことを除いたうえで、その刺激と反応をつなげればいいのです。おそらく、不必要な緊張や余計なことが動きの中に含まれたままで刺激と反応がつながっているよりは、その方が軽くて素早い動きになるはずです。
その作業は練習の時間になるのかもしれません。舞台の上で、試合中に、横断歩道の上で今まで気が付かなかった何かに気がついても止まるのは良くないことがほとんどです。そういったときに最適な自分でいられるように、日常生活の中で自分を磨いておくのです。
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