人間の身体全体は、動物的本能(無意識のもの)と意識の2つによってコントロールされているようです。しかし、この2つがいつも同じ指示を出すとは限りません。ときには片方が反発し綱引きのように戦いはじめます。
人間の身体は、たいてい対立する2つの統治者に支配されており、この二重性は排除されるべきである。
F.M.アレクサンダーによる著書4作の要約 アレクサンダーテクニーク P14-15
この2つが綱引きを始めたときに選ぶ反応は、3つあります。動物的本能(無意識のもの)の指示に従う・動物的本能(無意識のもの)と意識の両方の指示に従う・意識の指示に従う、です。
動物的本能(無意識のもの)と意識の両方の指示が一致している場合はなんの問題もありません。
動物的本能(無意識のもの)と意識の両方の指示に従う
動物的本能(無意識のもの)と意識の指示が一致しないときに、動物的本能(無意識のもの)と意識の両方の指示に従うということは、ある意味両方の指示に従わないということです。一致していないのですから。動物的本能(無意識のもの)に従わないで、意識の指示に従おうとすると、動物的本能(無意識のもの)が反発するので、結局意識の指示どおりにはなりません。反対も然りです。お互いにやろうとしていることを邪魔するために、そこに不必要な緊張が生じます(2つの統治者による内戦状態です)。アレクサンダー・テクニークがなくしていきたい緊張です。
動物的本能(無意識のもの)に従う
動物的本能(無意識のもの)と意識の指示が一致しないときに、動物的本能(無意識のもの)に従うべきときは、自分が意識的に意図してやろうとしていることが間違っているときです。それ以上食べるべきでないものを食べようとする(もちろん、人間社会で生きていくのに、食べないといけない場合もあります。)・トイレを我慢する(これも、人間社会で生きていくのに、我慢する場面もあります。)・息を止める(火の中水の中煙の中、あまりないけど、緊急事態でありそう。)、それらを、やらないでいいとき、本能に従っていい時、むしろ本能に従うべきときにまで意識的にコントロールしようとしてしまう。本能からくる身体の反応を邪魔してはいけないときというのがあります。中には、意図して良かれと思ってやっているが、実はそうではないというパターンです。
そして1904年からイギリスのロンドンへ移り、当時の医者や俳優たちの間から支持を受け、健康、発声と呼吸に関するいくつかの出版を通じ、「呼吸の人」と呼ばれるようになっていった。
自分のつかい方 P114
食事・排泄、その他のことは専門外のことが出てきそうなので触れません。けれども、F.M.アレクサンダーは最初は「呼吸の人」として名前を知られたらしく、アレクサンダー・テクニークと呼吸は切り離せません。呼吸について、本来の機能を邪魔していることについては、この後も考えていきます。
意識の指示に従う
動物的本能(無意識のもの)と意識の指示が一致しないときに、意識の指示に従うべきというのもあります。これは、本来ならば他の動きもできるはずなのに、無意識による身体の反応が習慣によって固定されてしまったために、身体がそうしないといけない、もしくはそうすることしかできない、と思い込んでいるという場合です。このときは、動物的本能の指示は、「そうしなくてもできる方法が別にあるかもしれないよ」と身体にわかってもらい、習慣によるお決まりのパターンをやめてみよう、と自分に働きかけることになります。アレクサンダー・テクニークのレッスンでは刺激から起こる反応のパターンが変えられないか考えていきます。
<本文中に関連するリンク>
引用元の本「自分のつかい方」
自分で自分の身体に起こっていることに気づくということに関する記事
意識してやっていることと無意識にやっていることを区別するに関する記事