4月、Workshop はじめてのアレクサンダー・テクニークを大岡山のメゾンドシャポーにてやります!
BLOGブログ
Something comes to mindあんなことやこんなこと

2

日常生活の身体・動きの基準をどこにおくか

アレクサンダーテクニークとは

お能の先生は、「お能の動きは日常生活の動きとは違う」と、フースラーの先生は、「歌うときの身体は日常のものと異なる特殊なもの」と、お話をされます。アレクサンダー教師としては、「日常生活の自分を良いものにすれば、何かを表現するときの自分はその上に成り立つ」と考えます。

お能の先生やフースラーの先生が言っている、「日常生活の身体・動き」というのは、アレクサンダー教師がいうところの間違った自分の使い方です。現代のほとんどの人がそうであるであろうと思われる、重力に負けて下に向かい、そのために身体のどこかを必要以上に緊張させて固めている場所を持ちながら生活している状態のことを指しているのです。

お能の先生が言うところの「お能の動き」や、フースラーの先生が言うところの「歌うときの身体」はアレクサンダー教師が言うところの良い自分の使い方です。重力に対して上に向かい、身体全体が必要最小限の緊張をもっていつでも動ける良い自分の使い方をもっていれば、その上に成り立つ動きであり、身体なのです。

この良い自分の使い方を通らないで、間違った自分の使い方である「日常生活の身体・動き」から直接「お能の動き・歌うときの身体」に向かおうとすると、特殊なもののように見えたり、力づくでやらないとできないようにみえます。確かに、日常生活では絶対しないだろうという動きがあれば、日常生活ではこんな声出さないよねというのがあるのは事実です。一方で、日常生活と同じ動きもその中に含まれていたり、日常生活で出すであろう声も使うわけです。つまり、それらは日常生活の身体・動きの良い自分の使い方の延長線上にあるというのが、アレクサンダー・テクニークの考え方です。

お能の先生がやりたいことと、フースラーの先生がやりたいことと、アレクサンダー教師がやりたいことは本当のところは矛盾していません。「日常生活の身体・動き」の基準がどこにあるかが違っているために、違うことを言っているように見えたり、違うやり方をしないといけないように見えるだけです。


<本文中に関連するリンク>

思い込み(思考が身体の邪魔をする)に関する記事

masako

アレクサンダー教師始めました。 東急東横線学芸大学の近くでレッスンします。

RELATEDたぶん、同じカテゴリーの記事だと思う

関連記事

PAGE TOP