腕と身体の運動による相互の働きがつながることがわかった今なら、この言葉の意味がわかります。「ピアノを持ち上げようとしながら声を出す」。
「ピアノを持ち上げようとしながら声を出して」、と、歌のレッスンを受けたことのある人なら一度は言われたことがあると思われる、この言葉。初めて言われたときはなんのことだかさっぱりわかりませんでした。ピアノを持ち上げようとしたところで、何が起こっているのかわからないし、どのようないいことがあるのかもわからない。ピアノの鍵盤の下に手をかけて、ただ頑張っているだけでした。
肩が邪魔していることで、腕と身体がお互いに影響し合うことができない人(以前の私です、現在も時々、多分、)は、腕だけでピアノを頑張って持ち上げようとするので、身体は全く使えていません。なので、この指示は理解できません。
肩が邪魔することなしに、腕と身体がお互いに影響し合っている人(私はやっとここまで来ました。できてないときもあるだろうけど)は、ピアノを持ち上げようとする運動が身体に伝わり、身体が適切な運動をすることで、腕に必要な働きの影響を与えます。ピアノを持ち上げようとする動き=身体を使う、が理解できる人です。では、この身体の働きが歌声に良い影響を与えるか、というところでは、もう一つ壁があります。喉(とその周辺、舌とか顎とか)が身体の運動による働きを正しく声帯の振動に変換するのを邪魔している場合(今の私。けれども、股関節が固いねと言われた人が24時間365日股関節が固いわけではないのと同じで、私の身体が声帯の振動の邪魔をしているのが特定の場合かもしれないことは考えておく必要はあります。)です。これも、指示が理解できないことになります。
肩が邪魔することなしに腕と身体がお互いに影響し合っている人で、喉(とその周辺、舌とか顎とか)が邪魔することなしに身体の運動による働きを正しく声帯の振動に変換できる人は、「ピアノを持ち上げようとしながら声を出す」という指示の意味が理解できる人です。そう、もうできている人も、この指示は必要ありません。
この指示が意味をなす人というのは、条件が全て揃って、最後の一押しとなる場合です。その瞬間にたまたまこの指示が出されると、おおー、こういうことか、とヘレン・ケラーとアニー・サリバンの奇跡の瞬間に立ち会えるわけです。その瞬間がいつなのかわからないから、先生は同じことを言い続けることになります。先生に同じことを言い続けられても、「なんで私はわからないんだろう」と落ち込む必要はありません。「先生の言う通りにしなくては」と必死になる必要もありません。そこは頑張るポイントではありません。「まだその時ではないんだな」と思っていればいいのです。私もまだその時は来ていません。そうして、最後の一押しのために、条件が揃うまでできることをやるのです。
アレクサンダー教師は「ピアノを持ち上げようとしながら声を出して」という指示はしないと思われます(する人もいるかもしれません)。なぜなら、上に書いた通り、この指示が意味をなさない人がほとんどだからです。そうして、アレクサンダー教師がレッスン生とともにすることは、身体の運動による働きを正しく声帯の振動に変換するために必要な条件をそろえることです。身体の運動による働きを正しく声帯の振動に変換するのを邪魔しているものを除いていく作業です。
この、「ピアノを持ち上げようとしながら声を出して」という指示は、良い自分の使い方ができる人が思いついたのだと思います。これも、手段と結果が逆転したものの一つです。
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