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流派[2024/4/15に内容を追加]

アレクサンダーテクニークとは

他のジャンルはわからないので、アレクサンダー・テクニークに話を絞ります。そして、私が個人的に勝手に思っていることです。先輩や先生、STATがどのようにとらえているのかはわかりません。更に、私が学んだのは、一つの流派しかなく、他の流派はかじったことがあるか、全く知らないかです。そんなんで流派を語るなんてとんでもないのですが、机上の空論かもしれないけど、こうなんじゃないかなーと思っていることです。

F.M.アレクサンダーはレッスン生によって教え方が違ったそうです。その人に合わせて、その人に必要なことを教えたんだと思います。その人が教わったことを大切にしてアレクサンダー教師になると、一つの流派ができます。また別のレッスン生がF.M.アレクサンダーに教わったことを大切にしてアレクサンダー教師になると、また別の流派ができます。そうして、大切にするものが少しずつ違う流派が複数できます。けれども、どれもF.M.アレクサンダーの中から出てきたものです。

インド発症の寓話に「群盲象を評す」というのがあります。それに似ているのではないかなと思っています。目の見えない人が、それぞれ象の一部分を触って感想を語り合います。異なる感想を、皆自分が正しいと主張して対立してしまうのです。先にF.M.アレクサンダーから学んだ人たちのことを盲人扱いするのはおこがましいのですが、どの流派も元はF.M.アレクサンダーの中にあったもののはずです。その流派すべてを網羅してもF.M.アレクサンダーがその中にもっていたアレクサンダー・テクニークの全体像を表しているかどうかは、F.M.アレクサンダーのいない今となってはわかりません。私を含め、アレクサンダー・テクニークが何かを説明できないアレクサンダー教師が多いのはそのためではないかと思います。

流派の分かれていった先の先の方で、F.M.アレクサンダーが確立したアレクサンダー・テクニークとは違うものになってしまったものもあるかもしれません。F.M.アレクサンダーが確立したアレクサンダー・テクニークと同じものにたどり着いた人がいてもおかしくはありません。

F.M.アレクサンダーがレッスン生に合わせて教え方を変えて、それを大切にしたアレクサンダー教師が流派を作ったと考えれば、自分に合った教え方をする流派の先生を見つかるまで探せばいいのではないかと思います。

[2024/4/15追加]
「群盲象を評す」の話は、ゴールディが似たようなことを言っていたようです。Penelope Easten がゴールディから聞いたみたいです。本”Come to quiet”から。


<本文中に関連するリンク>

STATとF.M.アレクサンダーに関する記事

異なる指示に関する記事

Penelope Eastenさん(外部サイト)

masako

masako

アレクサンダー教師始めました。 東急東横線学芸大学の近くでレッスンします。

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