レッスン生の身体に手を置くとき、「コンタクトをとる」ようにと先生から声がかかります。コンタクトってなんだろう。わからないからますます謎めいて感じてしまいます。それは、私だからかもしれない。「コンタクトをとる」ってもとは英語だから、英語圏の人には普通の言葉なのかもしれません。
Googleのgeminiに聞いてみました。コンタクトとは文脈によっていろいろな意味を持つそうです。その中から関係ありそうなのは、「接触・触れ合い」「接触(人との関わり)」「(心理的な)つながり・理解」です。
接触、触れ合い
レッスン生の身体のどこかと自分の手が接しているのだから、これはそのままそのとおりです。
連絡、接触(人との関わり)
連絡や交流とあるから、自分からレッスン生へのメッセージがあったり、レッスン生から自分への反応があったり、それをお互いに受取りあうと考えればいいのでしょうか。それを、アレクサンダー教師は手を介して行うのです。
(心理的な)つながり、理解
例文に、「意思疎通ができた」とあります。ただメッセージを送り受け取るだけではない何かがあります。これは難しい。レッスン生にそのつもりがなくてもできるものなのでしょうか。
先生は、「レッスン生に置いた手がレッスン生に吸い付くように」とか、「レッスン生に置いた右手と左手が磁石のように」とか言葉にしてくれるのですが、もしかしたらこの言葉は結果なのかもしれないと思い始めています。なぜなら、磁石のように吸い付くように手を置いたつもりでもさっぱりわからないからです。
今の私は、レッスン生に置いた手から、レッスン生の身体に起こっていることを受け取って理解しようとしています。まずはそこから。そうやっているうちに、磁石のように吸い付く手になるかもしれない、と思っています。
<本文中に関連するリンク>
アレクサンダー教師の手に関する記事
結果至上主義(end-gaining/エンドゲイニング)に関する記事