筋感覚を育てたいと、どこかに書きました。筋感覚が何かということが正確にわかっているわけではないので、いい加減なことを書いたなと思います。では、私が育てたいと思った筋感覚とは何なのか。私がいいたかった筋感覚が育っていないとはどういうことか。改めて考えてみたいと思います。
感覚とは何か
目・耳・鼻・舌などでとらえられた外部の刺激が、脳の中枢に達して起こる意識の現象
岩波国語辞典第7版新版
これを筋感覚という言葉にすると、(筋肉でとらえられた外部の刺激が、脳の中枢に達して起こる意識の現象)、となります。筋肉と目・耳・鼻・舌の機能は全く違うので少し表現が合わない気もします。外部からの刺激とはかぎらないので、「外部」を外してみます。(筋肉でとらえられた刺激が、脳の中枢に達して起こる意識の現象)、近くなってきました。筋肉でとらえられた刺激が何か、を考えてみます。
アレクサンダー・テクニークで求められている感覚は、実際には筋肉だけのものではないかもしれません。けれども、アレクサンダー・テクニークのレッスンにおいて、それがどこで感知されたものかということはさほど重要ではありません。
実際にアレクサンダー・テクニークでとらえてほしい感覚は、「筋肉がどのくらい収縮しているのか収縮していないのか、から始まる、その動作を行うのに必要最低限必要な筋肉の緊張はどのくらいか、または、必要以上に筋肉を緊張させている、ことを脳で感知すること」「実際に行っているその動作を脳が把握し意識的にコントロールできるということ」「脳が意図していない動作をしていることに気がつくこと」、私が気がついていないその他のこと。それぞれのところにも書きましたが、これらを脳で感知することです。
私は普段手を握っているらしいです。生まれたばかりの赤ちゃんは手に触れたものを掴む反射を持っているそうですが、大人になってそれが続いていることはないはず。手に何かが触れているわけでもないのに握っている、これは筋肉の癖。指の筋肉の手のひら側が収縮していることに自分の脳は気がついていないのです。私が手の指先まで意識が通っていないのは明らか。手の指先までの筋感覚(と表現していいのか、他の表現がいいのか、とりあえずここは筋感覚で間違いないかな)を育てる余地があるわけです。
アレクサンダー・テクニークで気づくべき感覚は他にもあると思いますが、それは別の項目として書きたいと思います。
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