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ヘレンケラーとアニーサリバン

アレクサンダーテクニークとは

三重苦のヘレンケラーによる奇跡の物語は有名です。しかし、私は正確な情報を持っているわけではないので、たまたま読んでいた、美内すずえの「ガラスの仮面」から、北島マヤが演じるヘレンケラーを参考に書きます。

目も見えなくて耳も聞こえなくてそれを乗り越えていくのは想像を超えるものがあるだろうし、乗り越えたその先の活躍もあるので人並み以上の努力をしています。その努力を尊重したうえで、アレクサンダー教師としてヘレンケラーとアニーサリバンが初期の頃やっていた手順だけを取り出して考えてみます。

実は、アレクサンダー教師としてその仕組みだけを見ていくと、ほとんどの人が抱えている問題にも同じことが言えます。

食事の場面では、椅子に座ることもなく、誰のお皿かも関係なく、手づかみで食べることが習慣になっていたヘレン。それはおそらく美味しそうな香りや周りの様子などから「ご飯がある」という刺激がヘレンの思考を素通りして「立ったまま、歩きながら」「そこにあったお皿から」「手づかみで」「そこにあったものを食べる」という反応をおこします。それが一緒に食事をする家族に影響を与えていて、困らせているのですが、ヘレンにはそれがわかりません(感覚的評価はあてにならない)。

これを解決するには、ヘレンの「ご飯がある」という刺激に対する反応を変える必要があります。outputとしての反応を変えるためには、そこに至るまでの思考を変える必要があるのですが、習慣となっているために思考は素通りしています。そのため、思考の手前、「ご飯がある」つまり「食べたい」という刺激がきた時点で、ヘレンの動きを止める(inhibition/インヒビション)必要があります。実際には(習慣の強い力)のためにこれを止めるのは簡単にはいきません。それでも「立ったまま、歩きながら」「そこにあったお皿から」「手づかみで」食べるのを止めます。そうして、食べるには他のやり方があるということを頭も身体も理解するために、実際に「食べる」前に時間をとります。

そうして、食べるときに「立ったまま、歩きながら」「そこにあったお皿から」「手づかみで」しないことができるようになって(non-doing)からやっと次に進むことができます。

「椅子に座ったまま」「自分のお皿から」「スプーンとフォークを使って」食べる食べ方があるということを体験するのです(direction/ダイレクション)。最初は先生に教わりながらですが、その意味がわかるようになってくると自分でできるようになります。自分でできるようになるまでにはまだ時間がかかるはずです。

その意味がわかるようになるために、言葉が必要だったのかもしれません。幸いヘレンはまだ目も見えて耳も聞こえていた小さい頃に水がwaterという言葉だということを理解していました。サリバン先生の働きかけはヘレンの中にあったそのことにヘレンが気づくきっかけを与え続けていたことになります。ヘレンがいつ気づくかもわからないものを教え続けるのです。そうして、気づくのはヘレン自身なのです。

教師は、生徒が自分の教えていることにいつ気がつくのかわからないまま、それでもいつか気がつくことを願って同じことをずっと教え続けます。アレクサンダー教師もレッスン生の中にあるものにいつレッスン生が気づくのかわからないままレッスン生が気づくまで教え続けます。


<本文中に関連するリンク>

美内すずえさんのガラスの仮面のamazonへのリンクです。ヘレンケラーの話は12巻ででてきました。amazonで検索するとkindle版が先にでてくるの、今どきですね。

masako

masako

アレクサンダー教師始めました。 東急東横線学芸大学の近くでレッスンします。

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