フースラーの先生は胸が上がったり下がったりよく動きます。そうして、「胸を上げるように」と声がかかります。これは落とし穴です。先生は、「胸を上げて」とは言っていなくて、「胸を上げるように(何かを)する」のだと言っているのです。しかし、先生の声掛けが悪くなくても、それを聞いて「胸が上がるために胸を上げよう」とする人はたくさんいます。その声掛けをどうとらえるかは受け取る側がきちんと考えるべき(考えたことの結果として反応が起こるのだから)です。F.M.アレクサンダーは胸を上げて朗読しようと努力していたために、背中を縮めていました。それらは、朗読で喉を痛めることになった身体の反応の一つでした。背中は長く広くありたいわけです。
胸が上がるのは結果です。胸が上がるために胸を上げようとすることは、結果至上主義(end-gaining)であり、身体全体が協調することを忘れています。ヒントになりそうだと思ったのは、両手のひらを胸の前で合わせて左右に引いたときに肩甲骨と舌骨をつなぐ筋肉が働くと同時に胸がいくらか上がったことです。
おそらく、身体全体が協調して使えている人が、使えていない人を見たときに胸の上がり方が違うことに気づいて「胸を上げるべきだ」と考えたところから始まったものと思います。これも手段と結果が逆転してしまっているのです。