アレクサンダー・テクニークは不要な緊張を取り除いていくものだと説明すると、「脱力ね」といわれます。脱力とは何をしているのでしょうか。
脱力は力を抜くことだとします。
身体の全ての力を抜くとどうなるのか。究極は死です。では、最低限生きているために働くべき内臓には働いてもらうことにします。内臓は自分の意思で力を抜いたり入れたりできないところです。ということは、寝ている状態が脱力に一番近いのかもしれません。そこから上体を起こして座ります。座るために、上体を重力に逆らって起こすときに力を必要としますが、その後座り続けるための力は最低限必要です。そこから立ち上がります。立ち上がるために力を必要としますが、その後立ち続けるためにも力は最低限必要です。アレクサンダー教師はその必要最低限の力でいてほしいと願うわけです。ところが、大抵の人は(アレクサンダー教師であっても)どこかに不要な緊張である力をかけて立っていて、それがないと立っていることができないと身体が思い込んでいます。立っているときに限らず日常生活全般にいえることです。その不要な緊張が、身体の自由を奪っていたり、健康を害する原因を作ったりしていることがあるので、アレクサンダー・テクニークのレッスンでは不要な緊張を除いていくのです。
それを脱力だと言えば脱力なのですが、日常生活を送るために必要最低限の緊張はあります。また、「脱力」をしているつもりで首を回したり腕を回していても、アレクサンダー教師の手で触れてみると力が入ったまま回していることがあります。「脱力ですね」といわれて「そうだね」と即答できないアレクサンダー教師がいたら、こんなことを考えていると思ってください。
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