目や耳からの情報で全てを理解するのは難しいものです。レッスン生は与えられた指示やアドバイスを先生が意図した通りに解釈できているのでしょうか。先生はレッスン生の現状を正確に把握できているのでしょうか。
先生から指示やアドバイスを受けたレッスン生のことを考えてみます。先生からの指示やアドバイスをレッスン生は刺激として受け取ります。その反応はどうなるのでしょうか。レッスン生の耳や目に届いた段階で見間違い・聞き間違いが起こる可能性があります。それをレッスン生が頭で理解するときは、理解できない・間違った解釈をすることが起こる可能性があります。レッスン生が解釈したものを身体が実践にうつすとき、今までの経験からの思い込み・今までやってきた習慣からレッスン生が考えていることをそのまま身体が実践できない可能性があります。ここに至るまで、先生の指示やアドバイスを先生の意図したとおりにレッスン生ができる可能性はどのくらいでしょうか。ほとんどの人がそこにたどり着けないものと思われます。先生の指示やアドバイスが最後の一押しだった一部の人だけがたどり着けるのです。
解釈の間違いが起こるのは、レッスン生だけの問題ではありません。レッスン生からの刺激を受けた先生がoutputとして起こす反応を考えます。レッスン生のことを見て聞いて先生がどのくらいのことがわかるかということもあります。レッスン生に起こっていることを見間違う・聞き間違うこともあるでしょう。レッスン生に起こっていることをその情報から解釈するのに、先生自身の経験・ときには今までそのレッスン生を見てきたがための思い込みなどから正確に解釈できないこともあるかもしれません。同じ指示を出すときも、様々な表現の仕方があります。そうして、そのレッスン生に的確な指示やアドバイスをおくれたかどうかは、おくってみないとわかりません。
先生とレッスン生の間に起こることは、ひとつのコミュニケーションであり、キャッチボールです。お互いにストライクなボールを投げ、受け取り続けるには無理があります。投げる側はなるべくとりやすいボールを投げ、受け取る側は受け取ろうとする努力をするわけです。
その結果先生がレッスン生に合わない指示やアドバイスを与え、レッスン生がその意図を間違って受け取ることで、レッスン生が不要な緊張ややり過ぎなどで身体に負担をかけてしまうことはあります。先生とレッスン生がそれをいい方に持っていける関係なら良いのです。そうでない場合は、第三者の助けが必要になります。アレクサンダー教師はその助けになりたいと思っています。