4月、Workshop はじめてのアレクサンダー・テクニークを大岡山のメゾンドシャポーにてやります!
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気合とか発破をかけるとかいうこと

アレクサンダーテクニークとは

串打ちをしているときの私の意識は緩みがちなのだと思い始めています。それは、串打ちのときに限らず、普段の私の意識の使い方の習慣・癖であるのだろうということです。

時計の秒針を意識の中に取り入れると串打ちがうまくまわるのに、気がつくとその意識がなくなっていつもの私になってしまいます。自分の背中をはじめ、身体をどのように使っているのかを意識すると、串打ちがうまくまわるのに、気がつくとその意識がなくなっていつもの私になってしまいます。自分を取り囲んでいる環境を意識の中に取り入れても同じことが起こります。必要最小限の意識を保つことができないし、もしかしたら必要最小限の意識を保つことがどんなものかわかっていないのかもしれません。

そんなとき、仕事場の先輩から、「遅い」「もっと速く」「今日はあと〇〇本」などなど、声をかけられます。この声掛けも受け止め方次第です。言葉の意味するところをそのまま受け取って取り込もうとすると、結果至上主義(end-gaining)に向かってしまいがちです。他のことがみえなくなってしまう状態です。それらが「ストレス」と呼ばれているものの正体です。言われていることは間違っていないと思われるので、それを自分の身体に当てはめて翻訳し直す必要があります。

もう一つ、この声掛けが私にとっては、外と意識がつながるきっかけになるということです。自分では気が付かないうちに、そうしているつもりがなくても、自分の外との意識のつながりがなくなってしまうみたいです。それは、この声掛けがあると、明らかに自分の動きが良くなるからです。もちろん、身体の使い方は考えたうえでのことです。

おそらく、一般的には「発破をかける」「気合だ」などという言葉になって定着しているのがこれです。それらの声掛けは、内側に向かってしまう人に声掛けをしたら、上手くいったことがあって、声をかけると良いらしい、というところから始まっていると思われます。この声掛けが、意識を外に向かわせて、自分自身が良い使い方になるきっかけになるならいいのです。しかし、この声掛けをする側が、何を求めているのか、この声掛けをされた側が何を受けとるのか、によってその結果が変わってきます。身体の使い方と同様にそこはよく考えなくてはいけません。

masako

アレクサンダー教師始めました。 東急東横線学芸大学の近くでレッスンします。

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