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感情を抑えていたものを取り除くと野生に戻るのか

アレクサンダーテクニークとは

野生動物にも社会があったりするので一括りに野生と表現するのもどうかと思うのですが、ここで言う野生は自分を理性でコントロールできない本能だけで生きている生き物と定義します。今まで感情を抑えていた人が、それをとり除いても野生に戻らない道はあります。世の中には、アレクサンダー・テクニークのレッスンを受けなくても同じもの(感情そのものを抑え込むことなく理性をもって行動すること)を身に着けている人はいます。その中には自分を理性でコントロールできない人もいるかもしれませんが、きちんと人間社会を生きている人もいます。しかし、今まで感情を抑えていた人がただそれをとり除いただけでは、以前と同じ困り事が起こるかもしれません。

どこが違うのでしょうか。

その人が以前に経験した困りごとというのは、感情が起こる何かの刺激を受けた結果、outputとしての反応によって周囲の人との間に困り事が起こっていたのです。何かの刺激を受けて自分の中に感情が湧いてきただけでは周りの人に影響を与えません。その後何を考えていても周りの人に影響を与えませんが、考えた結果を反応としてoutputした段階で周囲の人に何かの影響を与えます。なので、人間社会で生きていくにはoutputする反応を選べばいいのです。そして、outputする反応を選ぶために何を考えるかは大切です。アレクサンダー・テクニークを実践するうえで一旦止まるところがここです。これをアレクサンダー・テクニークではinhibitionといい、日本語では大抵「抑制」と訳されます。

「抑制」の解釈は慎重にしないといけません。説明するために「抑圧」と比較することがあります。「抑圧」は自分の外からの圧力によって抑えるものです。これは自分の意志で抑えていません。それに対して「抑制」は自分の意思で理性によって抑えるものです。アレクサンダー・テクニークで扱うのは自分の意思で抑える方の「抑制」です。本人の自分自身による取り組みが必要となるのはこのためです。

自分のoutputとしての反応によって周りに迷惑をかけているけどどう対応すればいいかわからない人は、そのおおもとの刺激による感情を抑えてしまいます。しかし、感情は「外界への内蔵の反応を脳が解釈したもの」だとすると、その人は外界への内臓の反応を抑えていることになります。また別の人は刺激によって自分の中に起こった感情を違った形のoutputとして反応することを覚えるかもしれません。そうすると、その感情をそのまま出していい場面でも違った形でしか出せなくなります。

何かの刺激を受けた結果自分に起こることはそのままにして、outputとしての反応を選ぶとどうなるのか。

笑いたくなると大騒ぎして笑っちゃう人がいたとします。笑いたくなることはそのままでいいのです。自分の中で楽しむことはそのまま楽しむとして大騒ぎする前に一旦止まります。その場が声をたててはいけない場であれば声をたてなければいいのです。笑顔を見せると良くない場面では表情に出さなければいいのです。そこが舞台の上でメロディが与えられていれば大騒ぎで笑っちゃう代わりに歌えばいいのです。セリフが与えられていれば笑っちゃう代わりにセリフを言えばいいのです。その場が大騒ぎしていい場所であれば思い切り声を出して笑えばいいのです。慣れない努力は必要かもしれませんし、抑えてきた感情が再び起こるのを待たなくてはいけませんが、今まで感情を抑えてきた人であれば、抑える場所が違うだけです。

感情ではない別の何かの刺激に対する反応も同じことです。これがアレクサンダー・テクニークが目指していることです。


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masako

masako

アレクサンダー教師始めました。 東急東横線学芸大学の近くでレッスンします。

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