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スランプってなに

串打ち

串打ちで1回いい感じで(求められているのはスピードなので、スピードのことです)打つことができた後、しばらくさっぱりそのスピードに乗れない日が続きました。1回スピードに乗れただけで、この状態をスランプと呼ぶのは言葉の使い方が違うと思うのですが、一瞬「スランプ」という言葉が頭の中をよぎりました。

そもそも、1回そのスピードに乗れた日は、いろいろな自分の条件がぴったりハマって運良くいい動きができたのです。その日は過ぎ去り、毎日全く同じ自分ではいられないという事実から何かの条件が外れてスピードに乗ることができない日々がそのあと続いたのです。そのスピードに乗れた日に何を考えて串を打っていたのかを思い出して同じことをやろうとしてもだめでした。人間は完全に過去の自分を再現できないということはアレクサンダーの学校で教わっていても、やってみたのです。もしかしたらできるかもしれないと思って。それまでに串打ちのときに取り入れていたことを一つ一つやってみたのですが、それもだめでした。完全に結果至上主義(end-gaining)です。あのときの自分を求めています。

そこで、完全に違うことをやることにしました。まだ取り入れていなかったことを見つけて串打ちのときにやってみたのです。もしかしたら呼吸を止めているかもしれないと思って、串打ちをするたびに息を吐きました。仕事中はマスクをしているし、音楽がなっていることもあって、周りには影響がないと勝手に思い込むことにしました。変な人になっていたらごめんなさい。そうして、串打ちは手がメインに動くけど、それは背中があってのこと。背中の筋肉群を使っていないかもしれないと思って串を打って息を吐くときに意識的に背中を動かしました。

これがまたなかなか良かったみたいで、いい感じにスピードに乗れた第2弾がやってきました。しかし、それも長く続かずに、スピードに乗れない日々です。また、軽い結果至上主義(end-gaining)の最中です。

今回の話はスランプとは言わないですよね。それともスランプも似たようなものなのかな。スランプの話はそこら辺の話ができそうなときにしたいと思います。


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masako

masako

アレクサンダー教師始めました。 東急東横線学芸大学の近くでレッスンします。

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