受ける動きの指示の中に、「止まって(静止して)」があります。聞き慣れているのであまり深く考えることもなく、私達は止まり(静止し)(と思っていることを)ます。
私達人間が動いている時と、止まっている時というのは、何が違うのでしょうか。「止まっている」時というのは、本当に止まっているのでしょうか。そのときの解釈によっても違いがありそうです。歩いたり何かの動作をしていたときは、「止まって」といわれたらその動きをやめるだけだったりします。ときには、「止まっている」ことは、その位置から移動しないことを指していたりします。そのときは、その場で立ったり座ったりするかもしれません。
私達人間は、ロボットのように決まった角度や高さで固定することはできません。ダンスやパフォーマンスで本当に止まっているようにしか見えないものでさえ、ものすごーく精密な何かで測定するとものすごーく小さなゆらぎは防ぎきれないと思います。
姿勢とか、ポーズのようなものも、写真をとったり動画を一時停止したりして見ることができるので、止まっていると思いがちですが、ただその瞬間を切り取っただけです。その1秒前や1秒後には全く同じであることはほとんどありません。写真を連写すると全てどこかしら違うところがあって、どの写真にしようか迷った経験はあるはずです。
つまり、「止まっている」「静止している」と思っているときですら、その身体は常にゆらぎを伴い、バランスを取り続けます。なので、このときにも身体全体の関節はいつでも動けるようになっている必要があります。そうして、身体の使い方の考え方からは、「動いている」ときと「止まって(静止して)いる」ときの間には明確な境目はないように思います。動きが大きくなってもそのゆらぎに対してバランスを取り続けることには変わりがないからです。
違いがあるとすれば、「動いている」ときはその動きの平均値(x座標y座標z座標であらわすとわかりやすい)も常に動いています。「止まっている(静止していると思っている)」ときはその動きの平均値はほぼ同じところ(全く同じところにはできない)にとどまります。
自分自身をどのように考えて使うのかという点においては、「止まっている」ときも、「動いている」ときも、あまり違いはないように思います。「止まっている」ときも「動いている」ときも、重力に対して上に向かう力は内在し、身体全体の拮抗し合う力は必要最小限であることは同じだからです。「動いている」ときは、「止まっている」ときよりも、身体全体の拮抗し合う必要最小限の力が大きいかもしれません。どっちかにかたよっているかもしれません。それでも、その動きの中では必要最小限です。そうして、それらは、「止まっている」からといって、やめるものではないのです。