日常的に首が痛くなっていたので、痛くない首を求めてあんなことやこんなことをしていました。日常的に無意識に筋肉とその周辺の組織が不要な緊張を起こし続けているために、首と頭にまかせていては何も変わりません。自覚がないのでどのように考えを変えたらいいのかもわかりません。どのようにしたらレッスン生が理解できるのか、と思いながら自分の首に手を置いていました(アレクサンダー教師の手は1600時間以上3年間かけてトレーニングしたものです)。
自分の首なので、毎日いつでも痛くない首を求めて頭と首を背中のことを考えることができます。なるほど、アレクサンダー・テクニークでは最初は詰めてレッスンをして、ある程度のことができるようになったら一週間毎、一ヶ月毎にしていくというのはこのことか、と思いました。もちろん、個人個人の事情があるでしょうから、その通りにできない人もいます。アレクサンダー教師とレッスン生の合意が得られた時がベストではないかと思います。私が初めてレッスンを受けたときは一ヶ月に一回で、毎日頭と首と背中のことを考えるようになったのは教師養成のトレーニーになってからです。
そうして毎日頭と首と背中のことを考えているうちに(今まででもやっていたつもりでしたが、そうでもなかったということです[感覚的評価の不確かさ])首をクッと不要に緊張させて縮めて固める瞬間に今まで以上に気付けるようになってきました。
その場面は
- 冷蔵庫の一番下の野菜室を開ける時
- 台所シンク下の扉を開ける時
- 下にあるビルトイン電子レンジの扉を開ける時
どの場面にも共通していることは
- 開けるべき扉は下にある。
- 扉の中を見る目的は、そこに目的のものが存在すれば取り出す。存在しなければ扉を閉める。
- 目的のものがある位置はたいてい決まっていて、探す必要はない。
- 目的のものの状態はそんなに詳細に確認するものでもない。確認が必要だとしても、取り出してから見れば済むこと。
それに対してやっていたことは
- 扉に手をかける前に頭から下に向かう。
- 頭を扉に近づけることで扉の中で視界をいっぱいにする。
- 中をのぞく。
でした。扉の中にものがあってもなくても頭を近づけてのぞいていました。それは扉に手をかける前から始まっていて、そのときに首をクッと不要に緊張させて縮めて固めていたのです。そのために私がしたことは次のことです。
アレクサンダーの言葉で
- 扉の中を必要もないのに覗かない(インヒビション)。
- 余計な考え・心配・不安もおこさない(インヒビション)。
- 扉に手をかける前に、[首は楽に・頭は前へ上へ・背中は長く広く]なるように(ダイレクション[プライマリーコントロール])余計なことはしない(non-doing)。
- 余計なことはしないまま(non-doing)足首・膝・股関節を折りたたんでいってしゃがむ。
- 余計なことはしないまま(non-doing)手を扉にかけて開ける。
- 視界を広く保ったまま(それでも必要なことは見えている)必要なものを取り出す。
- 常に[首は楽に・頭は前へ上へ・背中は長く広く]なるように(プライマリーコントロール)余計なことはしない(non-doing)まま扉をしめて、足首・膝・股関節を動かして立ち上がる。
この一連の動作は品のいい動きになります。指圧に行ってこれはなんとかしないといけない、と思い始めてからここまでで、3週間くらいです。首の痛みは半分くらいになったかどうかで、まだ痛みは残っています。
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