歌っているところを録音してみると、歌っている自分の呼吸が流れていないなと分かるようになってきました。そこで、歌の練習として息が流れるようにいろいろ試してみます。そうして、身体の機能としてできないわけではなさそうだなというところまできました。なんで歌うときには息が流れないんだろう、と思ったところで、考え直しました。これは日常生活でも息は流れていないんじゃないのか。いや、生きているんだから呼吸はしているし、息はしています。言葉を変えると、日常生活でも機能的に呼吸ができていないのではないか、ということです。
アレクサンダー・テクニークのレッスンをしてみると、手が、足が、身体が、機能的に使えていないことがよくあります。でも、本人は日常生活で手も足も身体も使えていて何も問題ないからそんなはずはない、と心の中で思います。これは、アレクサンダー教師の視点から見ると、手や足や身体は使えていて日常生活を送るのに困らないかもしれないが、機能的に(本来あるべき使い方、余計な緊張も余計な弛緩もなく働くべきところが必要最小限の力で効率よく働いている)使えていないということです。それで、日常生活とは異なる状況になるとなんかうまくいかない、ということになります。
そこで、日常生活の中で呼吸がどうなっているのか観察を始めました。すると、すぐにわかりました。肋骨を上から(頭と首)下から(お腹)右から(右腕を含む右肩)左から(左腕を含む左肩)包み込むように(表現は柔らかいが、結局押さえ込んでいる)していました。肋骨の可動域は明らかに狭くなっていたので、どうしたら肋骨が自由に動けるかなと考えていきました。自分ではそれなりに首のことを考えて背中を使えるようになってきていると思っていたので、最初はショックでしたが、もっと良くなれることがわかって嬉しくなりました。
さあ、これからどうなるかな。