パートの仕事をしていたときです。肉を焼いていたら、その鉄板の上にプラスチック製のタッパーが落ちてきました。なんとはなしにそれを受け止めたのですが、それを見ていた先輩は「おー!」と一言。私も自分で「おー!」と内心思いました。
肉を焼いていたので顔は鉄板に向いていたのですが、見えているところはもっと広くタッパーが落ちてくるのが見えたのです。視野が広くなっているとそのとき初めて感じました。家にいるときも、何かが落ちるときはバランスを失って落ち始めるその瞬間から見えていて、大抵のものは受け止めることができるようになりました。それも落ちてから突然気づくのではなく、落ち始めから見えているのでこっちの身体も準備ができていて、身体を固めることなく自然に手が出るのでした。ときには、それを受け止めるかあきらめるかの判断をその瞬間にしたうえで、あきらめて落ちていくのを見守ることもあります。
判断する余裕ができるというのは、スポーツにも活かせるような気がします。
そして視野が広くなっただけでなく、視野の中で動くものに気がつきやすくなるので、獲物をとらえる動物と同じではないかと思います。
上橋菜穂子さんの獣の奏者に登場するイアル。イアルが王獣の子どもの後ろに異変を感じる直前の描写が忘れられません。
イアルは、祝宴の全てを、動く絵のようにながめていた。
上橋菜穂子 獣の奏者 Ⅰ闘蛇編-第3章幼獣の献上-3幼獣の献上
・・・中略・・・
一点に気をとられることなく、一歩心をひいて、全体を感じるようにするのである。そうやって全体を感じていると、・・・
イアルと同じことができるとは思えないけど、そういうことなんだろうなと思うのです。
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