何かの職人さんが、人並み外れた感覚を持っているのに「未だに満足いくものが作れない」というようなことを口にするのを聞いたことがあります。音楽であれば聴覚・食べ物であれば味覚など、研ぎ澄まされた感覚を持っているのにです。それは感覚が研ぎ澄まされているからこそ普通の人が気づかないようなことにも気づいてしまうからです。突き詰めても終わりがないというか。
最初から人並み外れた感覚を持っている天才もいるかもしれませんが、ほとんどの人は普通の人から始まります。正しい音を出しているつもりで違う音を出しているとか、リズムがとれないとか。
職人さんの感覚はいろいろあります。聴覚、味覚、嗅覚、視覚、触覚、などなど。アレクサンダー・テクニークでは筋感覚です。普通の人はやってるつもりでやっていないこと、やっていないつもりでやっていることがたくさんあります。まっすぐ立っているつもりで右に傾いているとか、力を入れているつもりがないのに力を入れていたり、力を抜いているつもりで力が入っていたりです。アレクサンダー・テクニークのレッスンではそういった筋感覚を研ぎ澄ましていきます。そうして身体の使い方の職人になっていくのです。他の職人さんと同じで終わりがありません。感覚が研ぎ澄まされるほど普通の人が気づかないようなことに気づいてしまうからです。
そして筋感覚を研ぎ澄ましていくからこそ、身体を使うあらゆるもののベースになります。
しかし、料理を食べてもらうことを仕事にする人は職人をめざすかもしれませんが、普通の人が食事をするぶんには職人技はそこまで必要ではありません。同じように、アレクサンダー教師は教師であるがゆえに終りがありませんが、普通の人が生活するには極めるところまでいく必要はないかもしれません。
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