ダンスでペア振りがあると、相手は初めて組むことが多いです。何回かそういうことがあると、いろいろな人がいることがわかります。
たまたま自主練でとても上手な人と組んだときのこと。手を合わせているのに、それ以上主張してこない手でした。アレクサンダー・テクニークの視点でいうと、相手の邪魔をしない(私の邪魔をしない)手だったのです。お陰で私はとても自由に動くことができました。私もその人の邪魔をしない手でいたつもりでしたが、その人は自由に踊れただろうか、と思います。でも、その人は合わせている手の向こう側で自分の存在を確立させていたようにみえました。手を合わせていてもお互いに依存しないでいられたからです。
アレクサンダー・テクニークのトレーニーのときに、先生やクラスメートと2人1組になって相手をすることはよくあります。ワークショップでも2人1組になったりするのですが、たまたま参加者と組になったときは、また全然違っていました。
参加者の人は、合わせた手が安定しなくて、ふらつきました。相手の人の体重が手を通してかかってきたかと思うと、そのかかってきた体重がどこに向かっていいのかわからないように、いろんな方向をむくのです。私はそれに合わせるのに苦労しました。どっちに向かうかわからないのですから。多分、手を離したら相手の人は倒れるだろうなという予測もつきました。本人にはその(私に依存している)つもりはないと思います。このときは、先生の声掛けで落ち着いたのですが、私にはなんと声掛けすればいいのかまだわかりません。アレクサンダー・テクニークの視点でいうと、手を合わせている時点で相手になにかしらの影響を与えているのは間違いないのですが、この場合は相手の邪魔をしてしまっているのです(本人にそのつもりはなくても)。私が自由でなかったと同時に、相手の人も自由ではなかったと思います。
アレクサンダー・テクニークのレッスンでなくても、誰かと接触するときはお互いに何かしらの影響を与え合うことになります。本人にそのつもりがなくても、何かを伝えてしまっています。理想は、それが相手の邪魔をしないことです。それがお互いに自由でいられるための条件だからです。
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