今の自分の首が何をやっているのか分からないのに、首が固まっているのか固まっていないのかを質問することは役に立ちません。教えてもらったところで、それを再現することも避けることもできないからです。
同じくして、自分で自分が何をやっているのかが分からないでいるレッスン生に、あなたの首はこうなっている、手はこうなっている、足はこうなっている、と詳細に言うことが良くない場合があります。それを聞いたレッスン生が、わからないなりに何かをしようとしてしまうからです。しかし、自分が何をやっているのか分かっていないのだから、良い自分の使い方にたどり着くことはできません。
自分が出している音が外れているのかどうかわからない人に、その音はもっと上だとかもっと下だとか言うのが意味をなさないのと同じです。その人がわからないなりに音を上げたり下げたりしたところで、正しい音にたどり着かないからです。まずは、自分が出している音が外れていることに気づいてもらわないと、次に進むことができません。そのために、自分がどんな音を出しているのかがわかる必要があるのです。
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