立つ位置を、「こっちのほうがいいんじゃない」と先生に指摘された後、次に立つときには、立つ場所を探して右に左にうろうろして定まらない自分がいました。その時には、「それはしなくてもいい」と先生に言われたのでした。
実際にワークをしていると、落ち着かない様子で手が右へ左へピコピコ動き続ける人もいます。アレクサンダー教師が近づくと、姿勢を正そうとするかのように身体をゆする人もいます。
今の自分が間違っているとわかっていてそこから抜け出そうとしていたり、良い自分のつかい方が別にあることに気がついていてそっちに向かおうとしているのならいいのです。今の自分の何がどう間違っているのか、良い自分の使い方がどこにあるのか、わからないまま探し続けるのは、必要のないことなのです。わからないのですからどこにもたどり着きません。
常に正しくありたいと思っていると、そう動いてしまいます(その時の私がそうだった)。先生の期待に沿おうとしてもそうなります。何が間違っていて何が良い使い方なのか(先生が求めているものが何なのか)がわからないのなら、間違っていてもいいのです。私は正しいところを常に求めていますよ、的なアピールは必要ありません。なので、そのままの自分でここにいていいのです。
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